「ナシチャンプル(1)」(2022年03月30日)

nasi campurとはひとつの皿に飯とおかずを盛り合わせたものを指している。チャンプル
という言葉の語感から混ぜご飯や炊き込みご飯を想像するかもしれないが、インドネシア
のナシチャンプルは、飯とおかずの具が混じり合って一体化している状態のものを指して
いるのではなく、皿の上に飯とおかずを取り混ぜて置くことを意味している。このチャン
プルと日本語の「混ぜる」は異なる用法になっているのだ。つまり沖縄料理のチャンプル
ーとインドネシアのナシチャンプルは意味している内容が違うということなのである。


インドネシアのナシチャンプルは持ち運ぶために紙や葉に包まれてnasi bungkusの状態に
なることがある。それでも飯とおかずが混じり合って一体化することはない。あくまでも
飯とおかずは別のものとして口に入る。

ナシチャンブルがお弁当スタイルで紙箱に収められることもある。このスタイルは通常、
nasi kotakと呼ばれている。しかしナシコタッにせよナシブンクスにせよ、中身の本質は
ナシチャンプルなのであり、その結果、皿に載っていようが箱に入っていようが、あるい
はブンクス状態になっていようが、それらをすべてナシチャンプルと呼ぶひともいる。


ナシチャンプルは皿の中央に飯が置かれ、その周りに揚げ豆腐・揚げ魚・卵・サンバルな
ど数種類のおかずが配置され、飯の上にはアボンやスルンデンなどが振りかけられたもの
とインドネシア語ウィキは説明している。ナシチャンプルと呼ばれるメニューでは、飯は
たいてい白飯になり、脂飯などの味付け飯が用いられる場合は違う名称になっていること
が多い。

ナシチャンプルは地方によって名称がさまざまに異なっている。単なる地方語の影響もあ
れば、内容の特徴を捉えた名称になっているものもある。特に地方によって個性的な味付
けのおかずがその地方のナシチャンプルを特徴付けており、○○地方のナシXXにはこの
おかずという常識が形成されている。その地方外のひとびとがそんな常識を絶対視してい
る一方で、地元民はそのおかずを載せないものでもナシXXと呼んでいる、というすれ違
いは稀なものではない。

ナシチャンプルというものは基本的に飯とおかずのセットと考えればよいのだが、特徴的
な飯の名称がセットの名称として使われているケースもあって、複雑怪奇この上もない世
界がここに出現することになりそうだ。

とは言っても、極端な貧困状態のひとがおかずなしで飯だけを食うのは別にして、おかず
が手に入るのに飯だけを食うひとはまずいない。飯無しでおかずだけを食うことにgadoと
いう術語が作られているのに対し、その反対のおかずなしで飯だけを食う術語にいまだか
つて出会ったことがないのは、そんなことをする人間がいないから言葉が作られなかった
ということではあるまいか。

つまりは、ヌサンタラのひとびとが過去から行ってきた飯を食う営みのスタイルがナシチ
ャンプルという言葉で表現されているのだろう。だから「ナシチャンブルは料理名ではな
い」という理解がなされるべきではないかという気がわたしにはする。下のナシラムスの
項にも説明があるように、飯とおかずをひとつの皿に盛って食べる様式がナシチャンプル
であり、ナシチャンプルというタイトルの下に飯のレシピもおかずのレシピも存在しない。
飯は何でもいいし、おかずも何でもいいのだから。


日本にはおにぎりのように、おかずなしで成形飯だけを食う作法がある。しかしインドネ
シアにある成形飯はどれを見ても、おかずと一緒に食されるのが常識のように見える。ヌ
サンタラという土地が昔からそれだけ豊かだったことをその一事が物語っているようにも
思えるのだが、はたして、賛同を得られるだろうか。日本人も豊かになったから、塩とせ
いぜいゴマだけで握ったおにぎりを食べることもしなくなった。コンビニで売られている
おにぎりに、具なしのものがあっただろうか?[ 続く ]