「カンプンアラブ(4)」(2022年03月31日)

東ジャカルタ市チョンデッ地区は、ブタウィ人の郊外部への移住が盛んになったあとも、
ブタウィ人カンプンとして残っていた地区だ。そのため都庁は1974年にそこをブタウ
ィ文化保存地区に指定した。それから十年ほどが経過して、タイミング違いでチョンデッ
のブタウィ人たちも郊外へ引っ越し始めた。かれらが売る土地をアラブ人が買うケースが
増加して、かつてのカンプンブタウィはカンプンアラブと呼ばれるようになった。今のチ
ョンデッにはアラブの風情が漂っている。

都内のカンプンアラブからだけでなく、諸地方のカンプンアラブからもアラブ系プラナカ
ンがチョンデッに移り住むようになった。特にアラブへの海外出稼ぎ者派遣ビジネスがチ
ョンデッで盛んになったことも、アラブ系プラナカンのチョンデッ移住を煽った要因のひ
とつだった。かれらも父祖の地への憧れと文化的なつながりを強く抱いている。

アラブ人にとって、イスラム色の濃い文化を誇るブタウィ人は親しみやすいひとびとだっ
た。ブタウィ社会がアラブ人に居心地の良い場所を提供したことは疑いあるまい。必然的
にアラブ系とブタウィ人の結婚が数多く起こった。しかし今では、ブタウィ以外のスンダ
や他の種族との結婚もたくさん行われている。


チョンデッ地区に入ると香水屋が目につく。そこは市販用のブランドもの香水が売られて
いる場所ではない。香水の元を用意していて、自分好みの香水を望む客にそれを調合して
作ってくれる店だ。アラブ人は昔から香水を自分で調合していた。欧米の工場でマスプロ
生産される香水は、そのままではアラブの激しい気候に適さない。香りを長持ちさせるた
めに、アラブの気候と生活習慣に適したものに変えなければならないのだ。

インドネシアに産するジンコウの樹脂や白檀は昔からアラブにたくさん輸出されていた。
アラブ人はそれらから香水の素材を取り出して調香に使った。その調香の習慣をアラブ人
はインドネシアにまで持って来た。だからスラバヤのアンぺル、ソロのパサルクリウォン
などヌサンタラの各地にあるカンプンアラブには、必ず香水屋が店開きしている。

チョンデッにも香水屋が何軒も店開きしており、たいていは固定客を持っている。香水の
調合は人間が行うものだから、必ず調合者によって違いが出る。そのため、客は自分の好
みにもっともよく合う調合のできる店に通うことになる。店側も心得ていて、その客にど
のような調合をしたかを書いたカルテを作って保管している。決して、客のだれかのカル
テを使って別の客に調合するようなことはしないそうだ。客は自分だけの香りを望むのが
普通だと店主は述べている。


そんな香水屋とは異なる香りがチョンデッに漂い、そして腹の虫が唸る。チョンデッに来
て、アラブ料理を食べないで帰る手はない、とひとびとは言う。食堂に入れば、ナシクブ
リやナシカバサなど、中東風の味覚で味付けした飯料理が愉しめるのだ。中東風の味覚は
ヤギ肉と豊富なスパイスが作り出す。

30年以上前に中部ジャワ州トゥガルからジャカルタに移住した女性店主リリ・アッマッ
・アルカフさんの営む食堂サテトゥガルアブサリムで臭みのないヤギ肉のサテを堪能しよ
うではないか。「柔らかくて臭みのないヤギ肉を得るためには、作法があります。」とリ
リさんは語る。

生後4〜5カ月のヤギを選び、屠ってから肉の層を筋に注意して切り分ける。解体した肉
は水洗いせず、汚れをきれいに拭き取るだけ。料理するのでないときに水がかかると、肉
が臭みを持つのだとかの女は言う。

この食堂では、ヤギのミルクも売られている。プレーンとハチミツ入りの二種類だ。ヤギ
臭はない。これにも秘密がある。ヤギの乳を搾るとき、清潔さに神経を集中させること。
ヤギの毛が一本ミルク缶に落ちても、ミルクが臭くなってぶち壊しになるのだそうだ。
[ 続く ]