「カンプンアラブ(5)」(2022年04月01日)

この食堂にはRoti MaryamやKaadあるいはKamirなど中東のおやつもいろいろと置かれてい
る。おやつを愉しむのなら、トゥガル名物のテポチと一緒にできる。いや、スパイスの入
ったアラブコーヒーでもよい。クローブとカルダモンとヤシ砂糖を加えた熱く濃いコーヒ
ーはエキゾチックな気分でわれわれを包んでくれる。

熱々のアラブコーヒーには、焼き立てのカミルもよく合う。小麦粉・イースト・ココナツ
ミルク・バターと塩砂糖を練って焼いたカミルは夕方のおやつにも、そして朝食代わりに
もうってつけだ。


スマランにもプコジャンという地名がある。スマラン市の中心部で、比較的港に近い。こ
のエリアもカンプンアラブとされているものの、最初はコジャという名称の通り、タミー
ルやグジャラートといったヒンドゥスタン系の人種が居住したそうだ。アラブ系のハドラ
ミが加わるようになるのはもっと後の時代だった。

スマランのプコジャンに住む長老のひとりは、自分たちは単一民族の子孫ではないと語る。
源流はパキスタン系ムスリムが17世紀ごろからこの地に住み着き、それがプリブミの諸
種族やアラブ系・オランダ系・ポルトガル系・中華系などと混じり合って生まれた子孫な
のだ。だから単純にアラブ系だと見るのは当を得ていない。コジャとはインド語で「いな
くなった人」を意味しているのだ、とかれは説明した。このコミュニティ人口はおよそ9
百人にのぼると見られている。

スマランのプコジャンには、イドゥルフィトリの日に行われる珍しい慣習がある。いや、
イスラム社会ではどこでも行われていることだが、ここでは全住民をあげてシラトゥラヒ
ムを行うという形式が違っているのだ。3百年前から継承されて来たこの慣習はsanjaと
呼ばれている。


イドゥルフィトリの朝午前6時にジャミップトロガンモスクで行われたイドの礼拝のあと、
およそ半時間を談笑しながらそこで過ごしたひとびとは、三々五々グループを組んでプト
ロガンモスクのイマムの自宅に向かう。サンジャの慣習が始まったのだ。

が、よく見るとモスクに残っていたのは男性ばかりであり、女性たちは早々に自宅に帰っ
てしまっていた。ムスリム衣装に身を包んだ5人から20人くらいまでの男性グループが
町中のコミュニティ構成員の家およそ百世帯を一軒一軒巡って歩くのである。女性はみん
な自宅に帰って、後から後からやってくる挨拶客のための飲み物と軽食を用意しなければ
ならないのだから、礼拝が終わればさっさと帰るのが当然だ。いや男性の中にも、女性と
一緒に帰宅するひとが少なくなかった。

コミュニティ構成員の家はプトロガン通り、カンプンブゴッ、プコジャントゥガ、プコジ
ャンブントゥ、プコジャンキドゥル、プコジャンロルに集まっている。いやそればかりか、
ジュルッキンキッ、ボナルム、ウォップラウ、ブスタマン、スブラン、パンデアン、プロ
ゴ、プマリ、プサングラハンなどを含むプチナン地区にまで散在しているのだ。

イマムの自宅を訪れて挨拶をし、供される飲み物と菓子を口にすると、グループはすぐに
その家を辞去する。続々とやってくる他のグループを外で長時間待たせるわけにはいかな
いのである。しかしその後の順路は各グループが思い思いに選択できるから、場所によっ
ては多少の余裕ができることもある。だが次のグループがその家にやってくれば、先着グ
ループはそこをそそくさと立ち去ることになる。短い場合はグループの全員が立ったまま
挨拶し、用意されている飲み物と菓子を口に入れると5分くらいでその家を後にする。
[ 続く ]