「カンプンアラブ(6)」(2022年04月04日)

この挨拶回りは正午か、遅くとも13時には終了になるから、たいていは押せ押せで歩き
回ることになる。そして15時がくると、午前中の挨拶回りに加わらずに自宅で客を応接
していた男性たちが、グループを組んで午前中に挨拶に来たひとびとの家を回るのである。

こちらの方も男性ばかりだ。この日の挨拶回りに女性は加わらないことになっている。女
性が挨拶訪問をするのはイドゥルフィトリの二日後以降とされている。ただし、親戚の家
を挨拶訪問するのはその限りでない。


訪問客に出される飲み物はたいていミルクとシロップを混ぜたsusu sirupで、それにbolu 
lapisが添えられる。ススシロップにしろ何にしろ、飲み物はどの家でもインドネシア語
でselokiと呼ばれる小型のショットグラスに入れて供される。スロキという言葉はオラン
ダ語のslokjeに由来している。

どの家でも客にほんの少ししか飲ませないのにはわけがある。なにしろ午前中に百杯も飲
み物を飲まされるのだ。菓子のボルラピスは満腹なら手を出さなければよいだけだが、自
分のために出してくれた飲み物に手を付けないというのは、誰しも気が引けるもののよう
だ。

だからひとつのグループがある家に入ったら、立ったままメンバーのひとりひとりが挨拶
の口上を述べ、家の主からの口上を聞き、スロキを手にして口に入れ、ボルラピスを一切
れ取って口に入れてからその家を去る。ボルラピスをモグモグしながら道を歩く者もいる
といった風景が展開される。

ルバラン初日のその光景はその日かぎりで終わってしまう。二日目以降は伝統的な食べ物
飲み物が供されるのである。飲み物はクローブのシロップや茶、あるいはコーヒー、菓子
はボルラピスの他にチョコタルトやアナナスタルトが必ずテーブルに置かれている。それ
らのタルトは厚みが5センチくらいあるパイで、上にチョコやパイナップルジャムが載っ
ているものだ。

クローブのシロップはクローブ・カルダモン・シナモン・砂糖を煮立たせてから濾したも
の。普通は一度にたくさん作り、ビンに詰めておく。プコジャン独特の茶はクローブとカ
ルダモンとミルクを混ぜたものだ。

他にも、塩もみして干した若いマンゴの実をアチャルにしたアチャルポー、ヤギ皮のクル
プッ、牛乳とカルダモンとクローブを使ったアウラやマドゥマンサなども並べられる。


チルボンでも、カンプンアラブは最初コジャ人の居住地だった。ここも1845年にカピ
タンアラブ制度が開始された。インドラマユのアラブ人コミュニティはチルボンのカピタ
ンアラブが統率していたが、1872年になって分離され、インドラマユのカピタンアラ
ブがスタートした。


ジャワ島東端でバリ島対岸にあるBanyuwangiにもカンプンアラブがある。バニュワギ県バ
ニュワギ郡ラテン町のカンプンアラブでは17世紀からアラブ人の居住が始まった。

ハドラマウトから来たアラブ人商人たちは最初、パンパン湾で商売を行った。パンパン湾
は現在のムンチャル郡で、ジャワ島東南端のアラスプルウォに近い場所だ。そしてそのう
ちに定住する者が出始めた。

1866年に植民地政庁は分離居住制度に従ってずっと北のボーム海岸に近い場所にアラ
ブ人居住地区を定めた。このボーム海岸はマジャパヒッ時代の海上交通の寄港地であり、
またジャワ島とバリ島を結ぶターミナルでもあった。[ 続く ]