「ピクランとグロバッ(2)」(2022年04月08日)

天秤棒そのもの、さらには天秤棒で荷物を運ぶことをひとびとはpikulanと呼んだ。動詞
のpikulはムラユ語で担ぐという意味だ。中国では古代から担という重さの単位が使われ
ていた。その単位がムラユ世界に入って来て、語義の類似性によってムラユ語pikulが訳
語になった印象が濃い。ムラユ世界の1ピクルは人間が天秤棒で担げる最大の重さ、およ
そ60キログラムを示している。

ポルトガル人、更にオランダ人あるいはイギリス人がムラユ世界にやって来て交易し、ム
ラユ人が使っていたピクルという単位をそのまま取り入れて使った。英語やオランダ語で
はpicul/pikol/pikulなどと綴られている。VOCの取引報告書にもpikulという単位は頻
繁に登場する。このピクルという単位は今でもインドネシア・マレーシア・タイ・ベトナ
ムなどで慣用的に使われることもあるが、公式度量衡単位ではなくなっている。

このピクルという単語を中国の一地方語からムラユ世界が摂りこんだという語源論がある
のだが、担の文字を意図した説であるなら、中国語で単漢字が二音節になるものがあると
は考えにくいため、翻訳の結果と考える方が自然なようにわたしには思われる。


天秤棒は中国語で扁担と言う。マンダリンではbiandanと発音されるが、ミンナン語では
pin-tanとなる。それらの発音がpikulに似ているような気はあまりしない。長い棒を肩に
担って物品を運ぶことは紀元前2300年ごろの古代エジプトで既に行われており、紀元
前2世紀から4百年間続いた中国の漢王朝でも同様の方法が使われた。だがそれをもって、
古い記録のまだ得られていない地球上の他の場所ではこの運搬方式が全く行われておらず、
みんなが古代エジプト人や古代中国人から教えてもらったのだと断定する根拠にして良い
のだろうか。

この荷物運搬方式は華人がヌサンタラにもたらしたものだという説が言われている。中国
の担という重量単位の渡来がムラユ語の重量単位pikulを生んだ流れの中で、実物として
の荷担ぎ棒がその場に存在しなければ、ムラユ語文化の中にピクルという重量単位は生じ
なかったのも疑いあるまい。しかし、だからと言って、それだけの情報から推測して、そ
の荷担ぎ棒は華人が持って来たものであって、絶対にムラユ人が持っていたものでないと
いう断定ができるのだろうか?


1830年代にジャワで撮影された写真の中に、華人が扁担を使っている風景を写したも
のがある。華人は扁担の先に篭を吊り下げ、そこに農産物や道具類あるいは食品などさま
ざまな物品を置いて運んでいた。華人階層がジャワ島の流通機構にひとつの勢力を築いて
いたことがそこから見えて来る。

時の経過と共に食品巡回販売者、特に作り売り商人が必要な道具類の納めやすさを考慮し
て、ピクランの両端に吊るすものを篭から箱に変えてしまった。しかも紐で吊るすのでな
く、箱は長い籐や竹の棒で四隅を挟み、四本の棒は上で組み合わせられる。そこに天秤棒
を差し込めばすぐに一切合切を運び去ることができるのである。おまけに紐よりも揺れが
はるかに小さい。

箱のひとつには鍋とコンロが組み込まれ、もうひとつの箱は皿・調理される食材・調理器
具などが収められる。販売者はピクランを下ろした場所で店開きすることになる。ピクラ
ンを下ろして店開きする場所は三叉路や十字路などの交差点が多かった。三方四方からひ
とがそこを通るのだから、自然と人通りの多い場所になるわけだ。[ 続く ]