「ピクランとグロバッ(3)」(2022年04月11日)

しかし古来から十字路という場所は悪霊や魔物が集まって来る場所ということにされてい
る。バリ島ではその観念が顕著に残されていて、タナロッ寺院に向かう道程では何度か故
意に崩された十字路を通るし、わたしの住んでいる地域にもそんな場所はたくさんある。

敢えてそんな場所で商売しようというのは、商人というものがいかに悪霊や魔物に近しい
存在であったかということを示しているのかもしれない。古来、商人に卑しい社会ステー
タスが与えられてきたのもそこに根があったのだろうか?

十字路は人間が通り過ぎる場所だが、人間が集まる場所も他にあった。市場はその代表格
だ。それに次いで、garduもある。ガルドゥとは番人小屋であり、居住地区の治安秩序維
持のために住民が交替で、あるいは雇われたセキュリティがシフトに従って詰めている場
所だ。人間好き話好きのヌサンタラの男たちは、今でも暇を持て余すと話し相手を求めて
ガルドゥにやってくる。

おまけに番人小屋はたいてい村や住宅地区の出入り口に近い位置に建てられている。出入
口に設けられるグルバンgerbangやガプラgapuraと呼ばれる構造物も、食べ物作り売り商
人がやってきて店開きするランドマークにされた。

地区外の食堂へ食べに行こうとする住民を、地区の境界線でからめとろうというわけだ。
ケースバイケースではあるが、住民にとっても遠くまで行かないで腹を満たすことができ
るのだから、便利なものにはちがいない。


1970年代のジャカルタでは、食べ物作り売り巡回販売はグロバッや自転車を使う者が
圧倒的に多く、ピクランは衰退の一途に落ち込んでいた。しかし運搬道具に何が使われよ
うが、呼び声は変化しなかった。もっとも、中には呼び声を叫ばず、音を鳴らしてそれに
代える販売者もいたのだが。

音の場合、kentonganや竹筒、あるいはウッドブロックや玩具のゴンgongなどを独自のリ
ズムで打ち鳴らすのである。リズムや音色と商品の関連性は作られなかったような印象を
わたしは抱いている。ただまあ、この一件はまだ確認できていないから、断定するつもり
はない。

雑多な菓子類の販売者が「キッ」と叫ぶ代わりに、玩具のゴンを「ボワン、ボワン」と鳴
らしながらやってくる。その町内にボワンボワンというゴンの音が聞こえたら、菓子を買
いたい者は家の外に出て来る。

かなり離れた別の町内で別の販売者が玩具のゴンをボワンボワンと鳴らしながらタぺシン
コンを売っていたとしても、なにも問題は起こらない。その町内を自分のテリトリーに持
っている販売者が自己存在を告知するために音を出しているだけなのだから、別の町内で
別の人間が同じことをしても、その両者が売っている商品の違いによる迷惑を住民はこう
むらない。もしも両者が同一の町内に入って来て紛らわしいことが起これば、住民は販売
者に注意するからその問題はすぐに解決されるだろう。

売物が何であるのかを言葉にして叫ぶ行為は社会化に向かう傾向を自ずと内包しているが、
個人が自分の存在を告知するために音を出すことについてはそのメカニズムが働かないと
いうことなのではあるまいか。敢えて社会化させようとすれば、関係者の合議なしに済む
はずがあるまい。だがしかしそんな旗を、かれら日銭稼ぎの巡回販売者のいったい誰が振
るだろうか。[ 続く ]