「ピクランとグロバッ(終)」(2022年04月12日)

深夜の「テ〜」という悲鳴じみた叫び声に比べたら、クントガンを「コッ、コッコッ」と
鳴らしてくれるほうが、寝ているわたしにとってははるかに心安まるものだった。たとえ
「テ〜」という悲鳴が異変でないことを知り尽くしているにせよ、現実に人間の悲鳴を聞
くというのは精神の安定を揺さぶるものなのだ。

巡回販売というシステムはたいへんなサービスを大衆消費者にもたらしていた。いったい
何百人何千人の巡回販売者が街中をさまざまな商品を持って徘徊していたのだろうか?タ
ンスやベッド、あるいは竹製の安楽椅子を数人で担いで住宅地内を巡回販売していたあり
さまをあなたは想像できるだろうか?

時と場合によって、消費者は買物のために家を出る必要性が生じなかった。野菜売りや魚
あるいは肉売りが家の前を通るのだから、パサルへ行かないでも済む日が何度も作れた。


数百年間続いたピクランは1980年代にグロバッに取って代わられた。折りしも、ジャ
カルタに首都再開発の波しぶきがかかり始めたころだ。路上を走る自動車の増加が道路を
狭くし、街中を吹き過ぎる涼風は熱風に変わり、販売者の精魂がピクラン担ぎの重労働に
よって尽き果たされるようになったことで、もっと楽なグロバッを使う巡回販売スタイル
への移行は当然のように起こった。ジャカルタを震源とする波が起これば、他の諸都市へ
の波及は時間の問題だった。

面白いことに、ヨグヤカルタではジャワ人がピクランをangkringと呼んでいたのだが、ピ
クランがグロバッに変えられた後もグロバックのことをangkringanと呼び続けた。そして
ついにヌサンタラの全域で、アンクリガンがグロバッの同義語として定着しつつあるよう
に見える今日この頃だ。


ところがなんと、そのグロバッ方式による巡回販売さえもが、長命を保つことはできなか
ったのである。あちこちに開発された新設住宅地区では、デベロッパーが置いた地区管理
者が巡回物売の進入を禁止した。街中の交通激化が巡回販売者の行動の余地を狭め、おま
けに新しい市場からは疎外されたのだ。加えて巡回販売の消長に付け入るかのように、食
堂やレストランの出前システムが活発化し始めた。

結局のところ、巡回するための車輪を持っているグロバッさえもが、巡回をやめて固定場
所で店開きするようになった。固定場所を得るためには、地代家賃出費を避けて通ること
ができない。巡回販売をしているかぎり、その種の経費はほとんど発生しないだろう。

レントシーカーが爪を立てる術も持たなかった最下層経済が時代の流れのおかげで爪を立
てる位置に漂いこんで来たという言い方は不穏当だろうか?この一事にかぎらず、われわ
れが他の事例でも感じることがあるように、時代の発展というものがあたかもレントシー
カーを栄えさせようとする方向性をしばしば示すことを、人類にとっての超越的存在が持
った意志と見なしてよいのだろうか?


かつてあれほど厚い層をなしていた巡回販売というビジネスのあり方は、時代がそれを滅
ぼしつつあるように見える。今どき住宅地区に巡回販売にやってくるのは、自転車かオー
トバイばかりになった。食べ物の種類によっては作り売り巡回販売を自転車やオートバイ
で行う形態がほそぼそとながら、まだ続けられている。

昔、巡回販売につきものだった呼び声・叫び声や打楽器音は、インドネシアの世の中から
姿を消した。昨今、自転車やオートバイで回って来る販売者はたいてい、テープを回して
スピーカーに叫ばせている。聞こえてくるのはジングルと呼ばれる簡易な数フレーズのコ
マーシャルソングで、それが延々と繰り返される。

ピクランはすでに国立博物館のコレクションアイテムになり、ジャワ風様式で作られた豪
華なアンクリンは骨とう品としてインドネシア料理レストランやホテルの装飾品にされて
いる。グロバッが博物館の所蔵品になる日はいつやってくるだろうか?[ 完 ]