「ワトゥグヌンとオイディプス」(2022年04月11日)

ソース: 2007年7月30日付けコンパス紙 "Mitos Watugunung Setara Oedipus di 
Yunani"

ジャワとバリに生きているワトゥグヌン神話は、ギリシャに生き且つ西洋世界でも参照さ
れているOedipus(ギリシャ語発音はオイディプス、英語発音はエディプスまたはイディ
プス)神話に比肩しうるものであり、またそれになぞらえることのできるものでもある。

7月28日に開かれたバリ州デンパサルのデンパサルインドネシア芸術院における設立第
4周年記念の学術講演で、フランス人文学者ジャン・クト―氏がそう表明した。講演のタ
イトルは「時を超越した時に関する神話としてのワトゥグヌンとオイディプス王の意味付
け」。

内容はワトゥグヌンとオイディプスのふたつの神話の比較研究で、ワトゥグヌン神話に強
い焦点が当てられている。近親婚を禁止する基本文化の発端と位置付けられるそれらふた
つの神話は類似のテーマを物語っている。

「この神話に関する学術研究は西洋社会の原理と比較対照させてバリ(およびジャワの一
部)社会の文化原理を考えさせるユニークな機会であり、そのバリの文化原理がどこまで、
そしてどのようにマーケットシンボルとグローバルバリューの中でオファーできるものに
なるかを推し量る機会でもある。」同氏はそう語った。


ワトゥグヌン神話は息子のワトゥグヌンと母親シンタの近親婚の物語だ。それは母親のイ
オカステを妻にしたオイディプスの物語とよく似ている。二つの神話は一見、ストーリー
の基本構造がたいへんよく似ており、フロイド派が確信を持って唱えている「近親婚はユ
ニバーサルなものである」という理論を肯定している。だがクトー氏は、西洋と東洋の根
本的な思想の差異がそこに存在すると言う。

オイディプス神話はギリシャから西洋世界に広まった人間中心主義文化の原点のひとつと
見ることができる。オイディプスはその典型として描かれた人物なのだ。宇宙・合理性・
自由から切り離され、しかし盲目あるいは虚無にまとわりつかれて存在する人間の一形態
である。

一方ワトゥグヌン神話はバリとジャワの宇宙中心主義の核心点のひとつであり、ワトゥグ
ヌンを人間の典型の位置に据えたものであると考えることができる。ワトゥグヌンは、自
由は持たず、しかし啓明され、宇宙のリズムと呼吸を合わせて一体となって生きようとす
る人間の一形態であると考えられる。

この精神人類学研究は国際学術芸術界に提示するための、バリ、そして広くはインドネシ
ア、のシンボルと神話の再解釈の試みなのであるとクトー氏は表明した。バリの文学遺産
の豊かさがその研究を容易にしていることをかれは認めている。世界の多くの地域にある
文化では遺産のより多い部分が口承になっているのに比べて、バリとジャワの文化遺産は
書かれた資料に恵まれている。

かれが対象にしているワトゥグヌンの物語自体も、シガラジャのグドゥンキルティヤに保
存されている文書から取られている。デンパサルのインドネシア芸術院のような教育施設
はこのような種類の問題を研究するポジションとして最適である、とジャン・クト―氏は
語っている。