「時の隠喩(前)」(2022年04月13日)

ライター: 詩人・随筆家・教員、ガウィ在住、チャッヨノ・ウィディヤント
ソース: 2016年7月11日付けコンパス紙 "Metafora Waktu"

地上に出現した人類は常に、自己に関する概念を時に対置させて物語って来た。人類文明
史において、時の移り変わりは始点に回帰するコスモゴニーの反復と見なされた。年末が
やってくるたびに、新年への期待の中にはカオスからコスモス、つまり混沌から秩序に向
かう神秘的なサイクルの観念が顔を覗かせる。

そのような時の交替観念は何千年もの昔から存在しており、アキトゥと呼ばれたバビロニ
ア時代の新年の祭りをはじめとして、年や季節の交替を祝うさまざまな祭りの中に描き出
された。アキトゥの祭りは春のニサン月と秋のティスリッ月の、昼と夜の長さが同じにな
る日に催された。

アキトゥの祭りでは、マルドゥッ神を祀る社で創造物語が演じられる。その物語の中では
マルドゥッ神と海の巨人ティアマッの戦いが繰り広げられ、神の勝利が混沌の終焉を象徴
するものになった。マルドゥッ神は粉々になったティアマッの身体でコスモスを作り、テ
ィアマッの手下だったキングの血から人間を作った。キングは運命の粒を持っていたと信
じられている。

本質的にコスモゴニック行動の再現実化である創造の祭りは、ヒッタイト人・古代エジプ
ト人・ウガリット人たちが行っていた新年の祝祭の中にも見出すことができる。その祝祭
儀式の中にも、マルドゥッとティアマッの戦いとよく似たふたつの集団の闘争ストーリー
が描かれる。それはコスモゴニーの道程の再現実化、つまりカオスからコスモスへの変化
を意味しているのである。

< ジャワ式コスモゴニー >
ジャワ人社会ではスラ月新年(ムハラム月朔日)の年の変わり目に際して、秩序に向かう
道程の再現実化のために、王宮・村・あるいは特定の場所で静かに黙したまま巡遊を行う
のが伝統行事になっている。静寂は来る年の兆候を捉える能力をもたらすものと信じられ
ており、同時に静寂はまた「有」の原初(awal/purwa, sangkan, suwung)を示していて、
それは「中」madyaに至ってから更に回転して「無」wasanaに達するのである。

混沌から秩序に至るこの三段階のジャワ式コスモゴニープロセスはpurwa-madya-wasanaま
たはsangkan paraning dumadiというコンセプトで知られている。マルドゥッとティアマ
ッの闘争と同じように、ジャワ式コスモゴニーはアルジュナとチャキルの間で行われた戦
いであるプランクンバンとして描かれる。その戦いはワヤン劇の中で、一日の変わり目で
ある深夜に演じられる。その「時」はジャワ人社会における夜から昼への、暗闇から光明
への、混沌から秩序への変わり目に当たっているのだ。

コスモゴニック運動の永遠なる繰り返しという理解はまた、生に向かう死という意識を導
いた。だから死の儀礼に関連付ける新年の祝祭も存在する。そんな解釈のゆえに、死者が
家族のところへ戻って来ることはしばしば生きている死と見なされている。[ 続く ]