「時の隠喩(後)」(2022年04月14日) 日本の伝統の中にも、年末を死に関連付ける解釈が存在する。それは多分、岡正雄博士が タマコンプレックスと呼んだような、神秘心理生理学の一形態に含めることができるだろ う。タマは人間、死者の霊魂、聖者、の中に見出される精神的実態を成している。秋から 春への移行が起こるとタマは動き始めて、死者の遺体から脱け出そうとする。秋から春へ の交替はカオスからコスモスへ、破壊から秩序へ、といった再現実化のシンボルなのだ。 刷新と世代交代という枠組みの中にはひとつの歴史的エポスが終焉をもたらす混沌なるも のが厳然と存在しており、混沌が避けることのできない必然であることをタマは示してい るのである。 < プラジャパティ > インドのヒンドゥコンセプトの中では、prajapatiつまり死の年という言葉がアイタレヤ ブラッマナに出て来る。その本質は年が代わることだ。年が代わることは死と同じなのだ から、新たな年は死であるという本質を理解できるすべての者にとって、かれの生は破壊 されることがない。 プラジャパティには火の階層から始まる5層のコスミック時間のシンボルが含まれている。 5つの階層はそれぞれがひとつの季節を表し、一年の各季節に相当している。神はその5 つの季節で自己を形成し、毎年プラジャパティの中でその5つの季節を再生させることで 自己を刷新させる。再創造される刷新を通して、時は世代交代するのである。 原始人にも、太陽と月に関連付けた観念によって時の世代交代が絶えず起こっていた。月 はまず最初に死ぬべき存在であり、同時に最初に再生するものなのである。月に関するパ ースペクティブにおいて、個々の人間の定期的な死は人間の世代交代のために必要なもの なのだ。個々の人間の死は死の帳で飾られ、時の誕生は太陽の交替あるいは新年によって 示される。 より高い完成度を目指す移行を指す隠喩としての時の重要性は、アッラーがしばしば時に 関連付ける語法を用いて言葉をのたまわっていることについてのイスラム教義における形 而上の根拠に使われている。wal ashri(時代に)、wal laili(夜に)、wal fajri(夜 明けに)、wadh dhuha(ドゥハ時間に)、wasy syamsi(太陽の時に)といったものがそ の例だ。それらの語法を用いることによって、時は人間が注意を払わなければならない重 要な位置に置かれていることを神は指摘しているのである。 < 未来 > 時についての人間の解釈の最後に記されるべきものは、過去は未来の予表にほかならない という認識である。既成事実は変えることができず、変化も終着の訪れる日は来ない。あ らゆるものごとが、その出現と存在を可能にさせる反復の結果として生じているのだ。 おまけにグナワン・モハンマッが詩作の中で示したように、われわれの思惟の中で時は永 遠と有限の境界線をなしているのである。「中途半端な幻想以外に、この粘土の地で価値 あるものは何なのか?われわれが永遠に作り続ける、すぐにひび割れる何か・・・・」 [ 完 ]