「ワルン(6)」(2022年05月09日)

ただしメインの論調では、中国におけるコーヒーの事始めは1884年に台湾で木の移植
に成功したという歴史が記されているだけであり、あたかもそれ以前に中国人はコーヒー
という飲み物を知らなかったような印象を満々と漂わせている。そもそも中国の社会常識
として??の語源をギリシャ語やトルコ語などのアジア西端地域の言語に求めるのであれ
ば、西洋人がコーヒーを中国に紹介する前に西アジアから現物が渡来した可能性を想定し
て調べるのが筋ではあるまいか。

もしもシルクロード経由での渡来の事実がなかったのであれば、19世紀の樹木の移植に
からんで西洋人が持ち込んだ単語の母語がどうして中国語「口加口非」の語源とされない
のだろうか?北京語発音のカフェイがフランス語源だという発想の裏側にその辺りにから
む雰囲気が強く立ち昇って来る気がしているのだが、果たしてかれの主張はシルクロード
の調査を踏まえた上での発言なのだろうか?


もしも北京語が中国の普通話になる前にコーヒーがシルクロード経由で中国にもたらされ
ていて、アジア西端地域の名称を語源として口加口非という中国語が生まれていたのであ
れば、それは中国語中古音で発音された可能性が高い。

その場合、「加非」の中古音はkapui(uはIPA式で横棒が入る)となる。そのカプイが
時空間の移動を経て北京語のカフェイに音変化したという仮説が立てられたとしても、そ
れほど奇想天外とは思えないような気がする。そうなると福建語の??コピは先に存在し
ていた中国語の文字表記がムラユ語発音に当てはめられただけだったということになる
かもしれない。

もしも陸路シルクロード経由で茶とコーヒーが東方と西方の間で交差することが起こって
いたとするなら、それから1千年近い歳月の後に海のシルクロードを経由して福建とヌサ
ンタラの間にまた同じことが起こったことを、われわれはどう解釈すれば良いのだろうか?
人間は時代と共に進歩し変化して行くものだと言われてきたものの、どうもポール・サイ
モンの歌詞After changes upon changes, we are more or less the same.の方にヒュー
マニズムにおける真理を感じそうだ。


さて、このコーヒーショップを意味するコピティアムという言葉がインドネシアで商標権
を与えられた。東南アジア諸国の関連業界から白い目で見られているこの珍奇なできごと
のおかげで、インドネシア国内ではKOPITIAMというロゴを使っている??店以外の事業者
は、例えば劉口加口非店Lau's Kopitiamといった看板を出すことが許されなくなった。

2012年にインドネシア政府法務人権省知的財産権総局にその一般名称を商標登録した
者がいたのである。国会と政府が合議して定めた知的財産権法には、商標登録に際して受
け付けられないポイントが5つ記されている。
1.事業競争で他者を不利に陥れようとする悪意が低意に置かれている
2.憲法・宗教モラル・人倫・社会秩序に反する
3.他の類似の物との区別や差別化が困難である
4.社会的に共有される財産になっている
5.物品サービスそのものを示している

本来なら却下されるべきものと思われるこの商標登録申請が受理された後、商標権者は2
012年2月に社会告知を行い、kopitiam という言葉のついたすべての屋号や商標の持
ち主に対して即刻その使用をやめるよう警告を発したから、業界で一大騒動がまき起こっ
た。申請者も申請者だが、その申請を承認した政府・省・総局にも批難が集まった。
[ 続く ]