「ヌサンタラのインド人(14)」(2022年05月17日)

2百年くらい前から続けられているこのスラッグロは、かれらがインドで行っていた伝統
行事の継続である。この行事はイスラム暦ジュマディルアヒル月朔日にインドのイスラム
伝道に大きな功績のあった聖人サウル・ハミッの遺徳をしのんで営まれるもので、他人に
分かち与えることを生涯を通して実践したこの聖人の徳に倣って、砂糖を民衆に分け与え
る形で行われる。

当日、マグリブの礼拝時刻の30分ほど前に、ムハマダンモスクの表のトタン屋根に15
人の屈強な若者が上って並んだ。表の道路は群衆で埋まっている。外の公道のもっともフ
ェンス寄りの位置とトタン屋根の上を斜線で結べば、距離は4メートルくらいしかない。
トタン屋根の15人はそろって祈りを唱えたあと、足元に用意されている布袋のつぶてを
手にすると、眼下の群衆に向かって投げ始めた。群衆が歓声をあげ、人の波が前後左右に
揺れる。

布袋には250グラムの砂糖が入っているのだ。インド人・ムラユ人・華人などの老いも
若きもが男女の別なくそこに集まって、空中を飛ぶつぶてを捕まえようとし、また地面に
転がったつぶてをわが物にしようと奪い合う。この公道上での大騒ぎは5分くらいで終了
した。


砂糖はすべて信徒が寄贈したものが使われる。自分の誓いがかなえられたことを悦んで、
感謝の印に砂糖を寄贈するひとが多い。この年の砂糖の量は1.5トンだった。前年は2
トンあった。かつては7トンや8トンの砂糖がばら撒かれたこともある。寄贈者のために
は、旗が作られて会場に飾られる。

投げられるつぶては必ず布を使わなければならない。プラ袋などに替えようものなら、路
上はきっと砂糖だらけになり、砂糖を家に持ち帰ることのできるひとは激減するに違いあ
るまい。

群衆の中のひとりは、狂喜する人ごみの中の雰囲気が好きで毎年やって来ると言う。隣人
を誘って5人でアンコッをチャーターし、1万ルピアでここまで来たそうだ。去年は砂糖
を2キロ持ち帰った。「交通費をかけても、メリットは大きい。」とかれは語っている。

この行事は以前、メダンでも行われていたが、今ではパダンでしか行われなくなった。し
かしシンガポールやマレーシアのイスラム系インド人居住地区では依然として毎年行われ
ているという話だ。


メダンのカンプンマドラサに住んでいるタミル人の中にはキリスト教徒もいる。ポルトガ
ル人がやってきてインドに拠点を設けたとき、カトリック布教が行われた。だからカトリ
ック教徒になったインド人がいる。

百年ほど遅れてオランダ人やイギリス人がアジアにやってきたとき、かれらの宗教伝道組
織がプロテスタント布教を行ったために、プロテスタント教徒になったインド人もいる。
ポルトガル人・スペイン人はカトリック布教を野蛮で未開なアジアへの文明伝播の一手法
として行ったから、進出先の国内事情よりも自己の目的を優先させた。

日本でそれが完ぺきな失敗に終わったことを知ったオランダ人は日本への進出目的を通商
だけに絞った。その日本で起こったことだけを見て、オランダ人やイギリス人はアジアへ
の進出の中で宗教を取り上げなかったと考えると間違いを犯すだろう。[ 続く ]