「インド味の波(1)」(2022年05月23日)

ライター: ジャーナリスト、アンドレアス・マルヨト
ソース: 2010年10月1日付けコンパス紙 "Jejak Pangan India di Nusantara"

ココナツミルクを使った料理を目にするとわれわれはたいてい、インド料理の影響がそこ
に混じっていると考えがちだ。だが、ヌサンタラの食にインド料理がもたらした影響はそ
のようなシンプルなものではないのだ。インド文化のヌサンタラへの流入は少なくとも二
度の波となって及ぼされたのであり、しかもそれらの波がもたらした内容は同一でなかっ
た可能性が高いのだから。


文書資料に従えば、インド文化のヌサンタラへの流入は4世紀に起こったことになる。し
かしそのはるか以前にインド人がインド文化を携えてヌサンタラにやってきた可能性を否
定することはできない。食の世界に起こったインド文化の影響を調べるとき、われわれは
副次資料に助けられるだろう。

サンスクリット語辞典を見てみるがいい。ヌサンタラにやってきたインド人が料理や食べ
物の作り方をプリブミに教えたとき、かれらはサンスクリット語を使った。サンスクリッ
ト語辞典を開けば、gula, adang, caru, kundiなどのインドネシア語になった語彙が見つ
かる。今でもインドネシア人が日常生活の中で使っているものもあれば、歴史の中に置き
忘れられてしまったものもある。

adangは水蒸気を使って蒸す調理法を意味しており、インド人がそれをインドネシア人に
教えた可能性を推測させる。それに関連する特徴として、銅器具が使われることが挙げら
れる。インドでは庶民の家庭の台所で銅鍋を普通に見出すことができる。ヌサンタラの家
庭の台所でもよく似た光景を見ることができる。

あるいは古ジャワ語の食関連語彙を調べても、インド文化の影響が見つかるかもしれない。
古ジャワ語はインド人がヌサンタラにやってくるはるか以前から使われていた。ところが、
インド人がサンスクリット語をもたらしたために、サンスクリット語の影響が古ジャワ語
の中に混じりこんだ。古ジャワ語辞典編纂者たちは一様に、サンスクリット語の影響を受
けた語彙があることを指摘している。

食関連語彙の中でそのカテゴリーに区分されうるものとしては、pecel, pepes, urabある
いはcaranaなどが該当するだろう。しかし、インド文化到来より前にそれらがジャワの固
有文化として存在していなかったのかどうかに関する確定的な論証はまだ得られていない。


メダン考古学館のチュルマティン・ナソイチャ氏は調理方法に関して、古ジャワ語で書か
れた碑文の中に見つかる食物処理方法の中で、顕著に一般的なものがふたつある、と論じ
ている。901年から929年までの年号を持つ碑文によく登場するものは乾燥させる方
法と塩漬けにする方法だそうだ。[ 続く ]