「外国語由来の形容詞」(2022年05月27日)

ライター: ジャカルタアッマジャヤ大学倫理開発センター、K べルテンス
ソース: 2004年9月25日付けコンパス紙 "Adjektiva dari Bahasa Asing" 

母言語話者はだれでも、考えることなく文法規則を自動的に適用する。少なくとも、シン
プルで基本的な文法規則については必ずだと言える。ところが複雑なものになってくると
困難が生じがちになる。ややこしい規則の多くは知識層だけが正しく適用できる。そこに、
たっぷりと教育を受けた人間とそうでない人々の違いが出現するのだ。とは言え、基本的
な規則であるかぎり、たとえ非識字者であっても十分に使いこなしているのは違いがない。
そうでなければ、言語コミュニケーションは成り立たないのだから。

反対に、外国語を学ぶときには、基本的法則ですらわれわれを四苦八苦させることが起こ
る。学習者はしばしば、基本的なミスを犯してしまうのだ。どうしてか?外国語には母言
語の基本的法則と異なるものが含まれているからだ。インドネシア人が英語で犯すミスの
多くはたいていそこに起因している。インドネシア人は単数形複数形を区別せず、また現
在形と過去形をも混同して使う。たとえば、インドネシア人がthree table(正しくはth-
ree tables)と言ったり、あるいはI see him yesterday(正しくはI saw him yesterday)
と表現するようなことを、われわれは日常茶飯事的に目にしている。そのようなミスが起
こるのは、英語文を作るときにインドネシア人が無意識に母語の文法規則を適用している
からだ。異なる文法規則が適用されなければならないということへの意識が強く働いてい
ないのである。


形容詞と名詞の使い分けはインドネシア語文法で基本的な部類に入るだろう。形容詞は名
詞を修飾する言葉である。adjektivaつまり形容詞は、その語源を見れば何を意味してい
るのかが明白だ。ラテン語のad(pada)とiacere(menempatkan/menambah)の組合せがその語
の由来なのである。adjektivaとは名詞に何かを付けてその内容を限定させるものなのだ。

インドネシア語母語者は名詞の用法と形容詞の用法を瞬間的に区別するだろう。それらふ
たつの異なる品詞をかれは決してごちゃ混ぜにして使わない。berilah aku suatu bagus, 
kemarin saya beli suatu busuk, di daerah itu ada banyak indahなどという使い方は
起こり得ないのである。形容詞の適切な使い方について頭を悩ませるようなことはほとん
ど起こらないだろう。berilah aku suatu buku bagus, kemarin saya beli buah durian 
yang busuk, di daerah itu ada banyak pemandangan indah ....

上のように形容詞が自分の母語である場合、名詞とごちゃ混ぜになることはまず起こらな
い。ところがおかしなことに、外国語由来の形容詞の場合はそううまくいかないのだ。あ
たかもその言葉に関する用法上の感覚が消え失せてしまうのである。外国語由来の形容詞
が名詞として使われることは頻繁に起こっている。その例はほとんど毎日、有力であろう
と弱小であろうと、新聞やニュース雑誌の中に見出すことができる。

KBBIによればetnisは形容詞とされている。ところが少なくないひとびとがsuatu 
etnisと書き、またそう述べている。もし形容詞であるなら、suatu kelompok etnisのよ
うな使い方にしなければならないではないか。ところがTaliban berasal dari etnis 
Pashtunという表現がコンパス紙に出て来る。

nuklirも形容詞だ。ところがある日のコンパス紙はこう書いた。AS menuduh Iran mema-
kai nuklir untuk mengembangkan senjata atom.雑誌テンポにも、Pengawasan Selat Ma-
laka harus di bawah pengawasan internasionalという文が見られるし、公的文書までも
が同じようなことをしている。1992年保健法第一条第一項には、Kesehatan adalah 
keadaan sejahtera dari badan, jiwa, sosial.....と書かれている。


大学教官は職業柄、学生が書いたたくさんの文章を読まなければならない。そこには、上
に挙げた現象とそっくりなものが、後から後から出現する。このような例だ。
Buku itu menimbulkan kontroversial (kontroversiの間違い)
Filsafat melebih empiris (empiriの間違い)
Hal itu merupakan sebuah tautologis (tautologiの間違い)
Di sini tampak suatu kontradiktif (kontradiksiの間違い)

インドネシア語には決して起こらないそれらの現象が、なぜ外国語由来の形容詞に起こる
のか?外国語由来の単語は形容詞と名詞の弁別がどうしてそれほど難しいのか?多分、そ
の答えは言語心理学の観点からなされることになるだろう。