「ヌサンタラのお粥(3)」(2022年06月06日)

数十年前の日本では、米粥は病人食であり、せいぜい梅干しが入っただけの、淡白な食べ
物だった。インドネシアでは、言うまでもなく病人食バージョンもあるにはあるものの、
基本的に米粥は昔から健康者の食事メニューの一バリエーションだった。華人の風習に倣
って朝食にそれを食べるプリブミもたくさんいて、早朝からbubur ayamのグロバッ屋台が
街中のあちこちに出現した。

ブブルアヤムは中国あるいは台湾から伝来したものと語るインドネシア人もいる。ところ
が百度百科で中国風鶏肉粥の作り方を見てみると、まず濃い粥を作り、その中に油や揚げ
た鶏肉の細切れ、野菜の細切れ、醤油などを混ぜ入れて煮込む作り方が記されている。イ
ンドネシアのブブルアヤムは揚げ鶏肉をむしったものやネギ葉などを米粥の上に載せて供
するのが普通であり、まったく同じものとは思えない。

もちろん華人の鶏肉粥をヌサンタラ住民が模倣し、細かいところで変化を加えた形で今日
に至っている可能性もあるにはあるが、ヌサンタラ住民が中国粥を知らない時にそのよう
なものを作っていた可能性をどう論理的に否定し得るのだろうか。

[Bubur Ayam]
インドネシアのブブルアヤムは、まず丼にブブルだけを入れ、その上に鶏肉をむしったも
の、ネギ葉やセロリの細切れ、バワンゴレン、トンチャイ冬菜、チャクウェ油炸□(□=
米+果、北京語の油条)、揚げピーナツ、醤油、甘醤油、コショウ、塩、時には鶏のブイ
ヨンまでが載せられる。サンバルは別皿で出されるので、辣味に辟易しているインドネシ
ア初心者にとってはブブルアヤムが救いの神になるだろう。

ブブルアヤムを朝食に食べるひとが多いとはいえ、深夜の夜食に食べるひともいれば、昼
食に食べるひともいる。老人も青年も小さい子供も、誰にでも食べられるブブルアヤムは
万能食と言うことができそうだ。


万能食だから、ヌサンタラの全国津々浦々でブブルアヤムは食べられており、地方によっ
ては特徴を持たせたものが地元料理として登場する。たとえばBubur Ayam Sukabumiは丼
にまずアヤムカンプンの卵を生のまま割り込み、その上から熱々のブブルをかけて生卵を
覆う。客が食べるときにブブルをかき混ぜれば粥と半熟卵の混ざったものが口に入るとい
う寸法だ。Bubur Ayam Tegalは黄色いブンブを使うので、黄色いブブルになっている。

他にもご当地名を付けたブブルアヤムにbubur ayam Cirebonがある。ジャカルタで食堂か
らカキリマグロバッに至る随所で売られているブブルアヤムがこのブブルアヤムチルボン
だと言われている。これは鶏ブイヨンとウコンを加えた汁で作られた米粥に、むしり鶏肉
・揚げ大豆・セロリとバワンゴレン・ンピンやクルプッを載せたもの。鶏の臓物のサテも
オプションに用意されている。ウコンが入っているために粥汁は黄色味を帯びている。チ
ャクウェが使われないのがブブルアヤムチルボンの特徴だそうだ。


bubur ayam Cianjurはヌサンタラ筆頭の米どころであるチアンジュルの名にもとらず、美
味しい米でブブルが作られるので、ブブルの旨さが際立っている。トッピングは鶏肉・揚
げ大豆・セロリ・クルプッなどであり、時に冬菜が載ることもあるが、チャクウェは使わ
れない。

スカブミとチアンジュルが近い位置にあるとはいえ、ブブルアヤムに関してはお互いに差
別化をしているように見える。スカブミの方はチャクウェが使われ、更にワンタンも入る
ことがある。チアンジュルはネギ葉を粥の中に混ぜて一緒に煮るが、スカブミはネギ葉を
トッピングとして上から振りかけるだけ。[ 続く ]