「黄家の人々(8)」(2022年06月07日)

オランダ人は黙ってウイ・セを睨みつけていた。それがウイ・セの仕業であることはかれ
に十分に読めていた。これほだたくさんの銀貨を箱に入れるのは、ウイ・セほどの身代を
持つ者にしかできないことだ。腹の底から憤りが湧き起こって来る。しかしかれの理性は
この事件の客観的解決が不可能であることを覚っていた。これは怖ろしい罠だ。会社の金
貨を自分が銀貨に替えたという嫌疑に発展する可能性の方が大きいかもしれない。

ウイ・セほどの金持ちが何のために二箱の金貨を盗む必要があるのかとだれしも思うだろ
う。自分でさえそう思ったから、この腐ったダニ野郎に金箱を預けたではないか。オラン
ダ人は自分の置かれた立場が見えて来た時、自分の人生が終わったと感じた。

「もういい。この箱をこのまま馬車に積んでください。領収書はあなたが持っていればい
い。」
金箱が馬車に運び込まれると、オランダ人は帽子をかぶり、一言のあいさつもなく馬車に
飛び乗って去って行った。


二日後、ウイ・セは付添いの使用人とたくさんの荷物と一緒に小舟に乗り、大勢の見送り
人が同乗して、沖に停泊している大型客船に向かった。ウイ・セ一行が客船に乗ると、見
送り人たちも一度船に上がり、名残を惜しんでから陸地へ戻って行った。

たくさんの荷物が整頓されたのを見届けてから、ウイ・セは甲板に上がって乗船者の中に
立った。するとあのオランダ人がそこにいるのに気付いて驚き、ウイ・セはすぐに握手の
手を差し出した。オランダ人は冷たくそれに応じた。

「トアンがこの船に乗っているとは思いませんでした。」
「わたしもだ。あなたはどこへ行くのですか?」
「シンガポールです。トアンは?」
「バタヴィアまでです。」
「トアンのお名前を聞きそびれていたのですが、尋ねてもよろしいですか?」
オランダ人は最初、名前を明かす気がなかった様子でしばらく黙っていたが、言っても何
も困ることはないと思い直し、「フィクニーと言います。」と答えた。
「じゃ、また会いましょう。」フィクニー氏はそう言ってウイ・セから離れて行った。


船はバタヴィアに到着して沖合に止まり、バタヴィアへの下船者は短艇でバタヴィア港の
上陸場に運ばれ、貨物は沖仲仕の船で港の倉庫に運ばれた。下船する前にフィクニー氏は
ウイ・セに別れの挨拶をした。

わたしは今になってやっと分った。この世にあるのは大ウソばかりであり、この世に起こ
るのは適切なことであるという話とはまったく正反対になっていることを。人間の腹の中
は罪で真っ黒に汚れている。倫理から外れたことをしない人間などひとりもいない。みん
な金を追いかけることに目の色を変え、だれかがいい目を見ていると、他のみんなが嫉妬
する。だがそんな人間に決して安泰は訪れない。それは呪われた道なのだ。神は公正であ
り、人間のすべての悪行は必ず神の手で報復される。自分自身に報復が来なくとも、子々
孫々のだれかにそれが降りかかる。そのときに、神の手の公正さを思い知るのだ。
ははは!友よ、また会いましょう。

ウイ・セはフィクニー氏と握手しただけで、何も言うことができなかった。フィクニー氏
はすべてを知っており、自分への復讐を神の手を通して行うと呪っているのである。ウイ
・セは鳥肌が立ち、頭痛と寒気がし、目の焦点がぼやけた。自分がこのオランダ人にした
ことを後悔し、救いを求めたい気持ちになった。しかしフィクニー氏の前では知らぬ顔を
続けたのである。

ただそれ以来、ウイ・セは中国の神々の像を集めて、地獄で受ける苦しみを軽減させてく
れるよう、毎日祈るようになった。「神に対する罪を犯せば、赦しを請う場所はもう存在
しない」という中国のことわざをかれ自身が知っていたはずなのに。[ 続く ]