「黄家の人々(9)」(2022年06月08日)

さて、上陸したフィクニー氏はどうしただろうか。短艇から降りると、白ずくめのオラン
ダ人が近寄って来て手を差し伸べた。ふたりは握手し、船に預けた荷物を受取りに港倉庫
へ行った。バンテン人労働者がたくさん働いていて、たいへんに騒がしい。

荷物を受取ったフィクニー氏は出迎えてくれたピクス氏と一緒に馬車に乗ってバタヴィア
の家に帰った。ふたりは会社の同僚であり、ふたりでその家を借りているのだ。家に入る
と、フィクニー氏は着替えをして来ると言って自分の部屋に入った。そしてほどなく家の
中で銃声が響いたのにピクス氏は肝をつぶした。かれはどこで銃声がしたのかを調べ、ド
アの閉まっている部屋のひとつが煙硝の匂いを発散しているのに気付いて、そのドアを開
いた。その床に着替えもしていないフィクニー氏の死体が横たわっていた。右手に短銃、
左手に封筒を持って。

ピクス氏は下男に、急いで医者を呼んで来いと命じ、フィクニーの左手にある封筒を自分
のポケットに入れた。ほどなく医者が到着し、更にレシデンと副レシデンもやってきて状
況を調べ、フィクニー氏は原因不明の自殺を遂げたとの結論を出して処理が終わった。


翌日、フィクニー氏の埋葬が終わってから、この突然の事件に当惑し切ったピクス氏はポ
ケットにしまったフィクニー氏の封筒を思い出して中を開いた。

中にあったのはピクス氏宛にフィクニー氏が船中で書いた私信だった。この話の内容を深
い思慮を持って読んだ上で判断してくれ、と書かれている。そしてプカロガンで起こった
できごとが説明されていた。

プカロガンへ行くと、ある華人が会社の欲しい品物を売っていることが分かったので、そ
の華人の豪邸を訪れ、金箱ふたつを預かってもらった。その華人を信用したのが間違いだ
った。品物を船に積み込む日にその華人を訪れて支払いしようと預けた金箱を取り戻した
とき、中に入れてあった金貨がすべて銀貨に変わっていることが判明した。

箱の鍵はずっとわたしが身に着けていたのだから、その泥棒華人が合鍵を使って中身をす
り替えたとしか思えない。しかし証拠は何もないのであり、この事件の解決はたいへん困
難だろう。この恥をすすぐことはわたしに不可能であり、恥を背負って生き永らえること
もわたしにはできない。

その腐った華人はこの先まだ生き永らえるだろうから、わたしはその名を明かしたくない。
いつの日か、公正なる神がその悪行に鉄槌を下されることをわたしは信じている。さよう
なら。


バタヴィアから乗船したひとびとが物語るフィクニー氏の自殺事件を耳にして、ウイ・セ
の良心は恐怖に震えた。フィクニーはウイ・セに向けた自分の呪いを完ぺきにするために
自殺したのだ。自分の欲望が人間の悲劇の直接原因になったことに、ウイ・セはいたたま
れない気持ちを抱いた。

船内の客室にひとりでいるときにフィクニーの顔がまぶたに浮かび、寝ると悪夢を見るよ
うになった。フィクニーが追いかけて来るから、自分は逃げなきゃならない。力いっぱい
走っても、少しも前に進まない。そして転んで地面に倒れ、辺りを転げまわるところで目
が覚めた。ウイ・セは自分がベッドでなくて床の上に寝そべっていることに気付く。ベッ
ドの下の暗闇を見て、かれは慌ててベッドに上がった。

だがもう眠れない。目をつぶると、フィクニーの顔が浮かび上がって来るのだ。それ以来、
憂鬱な気分のまま、ウイ・セはシンガポールに上陸した。シンガポールで気晴らしをしな
ければならない。若い娘の添い寝があればきっと悪夢とおさらばだ。


ウイ・セはシンガポールの紅灯街にある三階建ての大きな建物を訪れた。言わずと知れた
娼館だ。娼館の主はバタウと呼ばれる。上客のウイ・セにバタウはまるで王様に仕える召
使いのような態度を示した。

娼妓の似顔絵カタログに目を通したウイ・セは17番を指名した。バタウは一瞬驚いた表
情を見せ、笑いながら言った。[ 続く ]