「ヌサンタラのお粥(5)」(2022年06月08日)

かれが考案した濃くて粘り気のある粥が世間の人気を集め始めたのは1989年で、その
ときかれは38歳になっていた。かれは自分の考案を法的に保護するため法務省知的財産
権総局に登録し、また保健省の衛生基準合格とウラマ評議会のハラル認定も1995年に
獲得した。

「ブブルアヤムMHオヨテア」の看板はバンドン市内のサリジャディ、グラップニャワン、
ジュアンダ通り、スラパティ、スランジャナの5カ所の店に掲げられている。ブブルアヤ
ム商売で大成功者のひとりとなったマンオヨはバンドンとマジャレンカに自邸を持ち、マ
ジャレンカでは水田とヴィラをも擁している。営業用の自動者ももちろんバンドンに数台
持っている。そしてマンオヨの店で作られているブブルは、かれのマジャレンカにある水
田で穫れた米が使われている。


保険の仕事をやめてブブルアヤム商売に転身し、成功者になった例もある。タングランの
BSDにブブルアヤムの店を構えるバダルディンさんは元々保険の仕事をしていた。ある
ときクライアントが商談の場所を南ジャカルタのホテルのレストランに指定したので、か
れはそこに出向いた。小ぎれいなレストランのメニューにブブルアヤムがあった。それが
かれに発想の転換を促した。道路脇や駐車場のグロバッでなく、エアコンのきいた小ぎれ
いな場所で味わうブブルアヤム。アッパーミドル層が望むスタイルがそれだろう。高級な
場所でカキリマ屋台のブブルアヤムを食べさせれば、喜ぶにちがいあるまい。

料理を趣味にするバダルディンさんは、ブブルアヤムに関する調査を4カ月間行った。美
味いという評判を取っているブブルアヤムを軒並み食べにまわった。チパナスまで食べに
行ったこともある。ブブル用の米もいろいろとテストしてみた。7種類の米でブブルを作
り、比較検討した結果、チアンジュル米の大粒ブラスクパラが一番適していることが分っ
た。そんなあれやこれやの果てに、ついに開店の運びとなった。

かれのブブルアヤム食堂はともかくホテルのように清潔であることを追及した。そして美
味しいブブルアヤムが廉い値段で食べられること。開店初日、ブブルアヤムは75杯売れ
た。ところが二日目はなんと200杯も売れたのである。

2011年の記事では、一杯が1万ルピアで販売されている。そのころ、週日は50〜6
0杯、週末はその三倍の売上になっていたそうだ。かれは三年間その賃貸店舗を借りてい
たが、4年目にそれを買い上げて自己所有にした。


南タングランのカンプンウタンにいるブブルアヤム売りのひとりであるイリさんは、午前
中住宅地区を巡回したあと、昼前にとあるモスクの脇に来て、グロバッを停めた。

その日、モスクでは百人を超えるひとびとが集まってクルアン読誦会が行われていた。ご
婦人方がメインを占める参会者たちが表に出て来てブブルアヤム屋台を取り巻き、イリさ
んに注文する。ほとんど同時に、モスク付属のイスラム学校であるマドラサからも生徒た
ちが出て来てグロバッを取り巻く。集まった数十人の客の注文をこなすために、イリさん
の手は休みなく動く。

イリさんの商売物をかれは定価5千ルピアにしている。これも2011年の話だ。ところ
が、かれは定価販売に固執しない。客が2千ルピア分欲しいと言えば、かれは通常のサイ
ズの器にいつもの量の粥を入れる。ところが鶏肉はほんの気持ばかりといった感じで、
「すくうおお〜し」だけ載せられる。

昼食時間が過ぎると、かれは売れ残った粥を売り尽くすために、また巡回にまわる。毎日
10キロを歩くイリさんの一日の売上は7万5千ルピア前後。西ジャワ州タシッマラヤ出
身のかれにとって、妻ひとり子供ふたりの毎日の暮らしを支えるには不足のない金額だそ
うだ。[ 続く ]