「ヌサンタラのお粥(9)」(2022年06月14日) サム・ラトゥラギ大学人類学者はティヌトゥアンの歴史について、ミナハサ人は16世紀 ごろからティヌトゥアンを食べていたと物語る。移動式農耕を行っていた昔のミナハサ人 はショウガと野菜類を混ぜた米粥を作っていた。nanaranと呼ばれるその粥は移動先で採 れる食材が使われ、それが地方別のバリエーションになった。今でもトンパソ族の社会で はナナランが食されており、ティヌトゥアンの原形がそれだと考えられている。 今やブブルマナドはマナド人のライフスタイルになった。「マナドを訪れてブブルマナド を食べなければ、マナドへ行ったとは言えない」という軽口がたたかれるほど、マナド人 はこのブブルを愛しているようだ。 ティヌトゥアンにアズキのスープであるブレネボンをかけて食べることもしばしば行われ ている。ブレネボンは肉ブイヨンの豆スープを指しており、オランダ語bruine bonenに由 来しているとの話だ。ジャワのスラマタンのような特別な祭事のときには、このブレネボ ンの豚足入りがよく供される。 あるいは、ティヌトゥアンの粥の代わりに麺が使われているものはmidalあるいはmidaal と呼ばれる。そんなブブルマナドの変種の存在はマナド人の食に対する限りない追求心を 示しているように思われる。 [Bubur Pontianak] カリマンタンにはブブルポンティアナッがある。しかしどうやらこのブブルのより一般的 な名称はbubur pedas Kalimantan (Barat)の方らしい。ポンティアナッの名を冠したのは、 ポンティアナッへ行くとすぐに見つかるからだと言うひともいる。ポンティアナッにはグ ロバッのブブルプダス売りが街中にたくさんいるそうだ。 発祥は西カリマンタンのサンバスで、東マレーシアのサラワクのムラユ人がそれを摂り込 み、ムスリムのブカプアサの食べ物にしたそうだ。断食後にそんな辣いものを食べるなん て・・・と心配するには及ばない。辣味はトウガラシでなくてコショウがそこそこ入って いるだけであり、ムラユ人がプダスという言葉を本気で付けたのかと思うような辣さでし かない。ひょっとしたら、淡白なブブルに気持ちばかりの辣味をという意図で名付けたも のかもしれない。しかし中には本気で名前通りプダスにしようとする几帳面なムラユ人も いて、かれらはトウガラシを鍋に投げ込むから、一筋縄ではいかなくなるのである。 米粥はヤシの果肉もしくは肉ブイヨンが混ぜられるので、脂飯版ブブルになる。ブブルを 炊くときに、茹で牛肉の細切れ・あるいは鶏肉・赤白バワン・スレー・コショウ・サラム 葉・ニンジン・空心菜・ラクサ葉・長豆・モヤシ・タケノコ・ジャガイモ角切り・サツマ イモなどが鍋の中に混ぜられる。もちろん種々のスパイスも使われる。 お好みでチリメン雑魚・ピーナツ・ネギ葉、そしてライムの搾り汁が皿の上にかけられる こともある。 ご当地名の付いたものにbubur Maduraもあるのだが、これは上で見てきた塩味系米粥の範 疇に属さないものであるため、後回しにしたい。インドネシアには甘味系のブブルもたく さん存在しているのだ。[ 続く ]