「黄家の人々(26)」(2022年07月01日)

競売に参加したひとびとの間で、マヨールを打ち負かして恥をかかせた者がだれだったの
かは結局分からずじまいになった。知っていたのは競売進行係のトアンたちだけだったが、
かれらはタンバッシアの頼みを守った。マヨールの問いにトアンたちは「多分、親しい友
人が帰国者の経済に余裕を持たせてあげようとして行ったことのようです。」と返答した
のだ。

しかし数日後、マヨールに注進に及んだ華人オフィサーがいた。あの競売の日、タンバッ
シアが隅の方に目立たないようにして立っているのを見た者がある。マヨールは腹が立っ
たものの、怒りを呑み込まざるを得なかった。自分を嫌っているタンバッシアのやりそう
なことだが、かれが自分に喧嘩を売ったという客観的な証拠にはならない。

それよりも、タンバッシアをうまく手なずけることがマヨールにとってはもっと重要なこ
とだった。あの財産を、自分を含めて華人社会に役立つようにしなければならない。マヨ
ールの役職を務めあげるには、たいへん金がかかるのだ。

マヨールはしばらくしてから、ウイ家に親しい華人にタンバッシアを説得するよう依頼し
た。自分に意見をしに来たその知り合いを中に通してタンバッシアは話を聞いた。華人コ
ミュニティのために、オフィサーになって働いてほしい。そのために父の後継者としてレ
ッナンチナの役職に就けるようにする。

かれは笑いながら客に言った。「公館の仕事なんぞして大勢の人間の奴隷にされるほどオ
レは馬鹿じゃないよ。」


ウイ・タイローはアンチョルの一画にも土地を持っていた。広大なその場所には自然のま
まの庭園と豪壮な建物が作られ、池には海水魚が飼育されていた。建物はたいへんに金の
かかった別荘様式で建てられ、ひとびとはそれをsuhian私軒と呼んだ。私的な軒という意
味だろう。軒はのきやひさしを指すが、転じて家屋そのものも指した。茶屋や食事処の屋
号によく使われている。

おまけに世の中で茶屋の一部は妓院に変化して行ったから、タンバッシアがよく利用した
そのスーヒアンはむしろ妓院のニュアンスが優勢になっていたかもしれない。ただし、そ
のスーヒアンは不特定多数の男が利用する妓院でなく、不特定多数の女がタンバッシアひ
とりに利用される妓院だったという違いがあったのだが。

スーヒアンの中の家具調度品はすべてがたいへん高級で美しく、芸術味あふれるものばか
り置かれていた。ヨーロッパ風・中華風の繊細で精巧な仕上がりの品ばかりだ。おまけに
その当時まだあまりバタヴィアで見られなかった日本製の高級品すら、スーヒアンの中に
置かれていた。

家の玄関前の馬車寄せに至る小道にはすばらしい出来栄えの中国製日本製焼き物植木鉢と
その上に置かれた盆栽が、初めて盆栽を目にしたひとびとの興味を誘った。植物の生きた
ミニチュアはかれらの想像もしなかった珍現象だったことだろう。それらの植物の世話を
させるために、中国から経験を積んだ庭師がそこに雇われて来ていた。

スーヒアンの維持費が莫大な金額に上っていることは、だれの目にも明白に映った。だが
タンバッシアにとっては、できて当たり前のことだったのだ。このスーヒアンにはビンタ
ンマスという名前が付けられた。


タンバッシアはビンタンマスにバタヴィア中の美しい娘を連れて来させ、官能の海の中に
溺れた。かれの三人のチェンテンは女に関する主人の好みをよく知っていたから、かれら
が街中で目を付けた娘たちはオランダ系華人系プリブミを問わずチェンテンの口車に乗せ
られてビンタンマスに遊びに来た。世間の大人たちが憎悪嫌悪の的にするほどの人物評を、
若い娘たちはタンバッシアにしていなかったということかもしれない。

身体は小柄だが目鼻立ちがハンサムで、十分な知性と豊かな知識を持ち、聡明で明るい表
情を示し、諸芸に巧みであって金離れが群を抜いている若者なら、女にとって決して悪く
ない遊び相手になるのではあるまいか。[ 続く ]