「黄家の人々(28)」(2022年07月05日)

役者とは言ってもみんな主人の所有する女奴隷たちであり、見物人も美しい女奴隷と金で
一夜の睦みごとを愉しみたくてやってきている男たちがほとんどだった。マヨールの演芸
団所属役者の美しいのはみんなマヨールの手が付いていた。女を漁りに来た見物人が舞台
に近寄って役者を口説こうとし、無理強いしたときマヨールのチェンテンが鞭でふしだら
な客を打つようなことも起こっている。

タン・コアン一座の中に、男ならだれもがむしゃぶりつきたくなるような娘がいた。その
名をボタンと言った。ボタンが出演する出し物はたいてい客席がひとであふれた。金持ち
の息子たちが50フローリンや100フローリンを渡して、話をしたいから舞台から下り
ておいでと誘っても、ボタンは舞台を下りることがなかった。役者の世話をする付き人に
もっとたくさんの金を渡してどこかで会えるように手配してもらおうとする者も後を絶た
なかったが、その金はどこかに消えてしまい。ボタンをわが物にしたと語る男はいまだ現
れたことがなかった。


ある夜、プチナンのとある華人の邸宅で祝い事が行われ、招かれたタン・コアン一座の舞
台が演じられているのを見て、通りかかったタンバッシアが見物に入った。そのとき舞台
の上ではSie Jin Kwie薛仁貴の物語が上演されていて、むしゃぶりつきたくなるような美
女が芝居を演じているのをタンバッシアの目ははっきりと見た。

タンバッシアは大勢の見物人をかきわけて舞台の近くまで進み、その役者を見つめた。女
の方も視線を感じて目をちらちらとタンバッシアの方に向け、口元に微笑みを浮かべた。
チェンテンに周りをガードされながら自分を見つめているその若者がだれなのかを、ボタ
ンはすぐに理解したようだ。

タンバッシアのボタン征服戦が始まった。タンバッシアはタン・コアン一座の後を追いか
け、舞台のボタンに誘い掛けたり、役者の世話をする付き人たちに金をばらまいたが、ボ
タンと差し向かいで話することさえ実現しない。タンバッシアはボタンを得るために1万
数千フローリンの金を既に使っていた。

最後に3千フローリンのダイヤの装身具一式をボタンに贈ったとき、ボタンはやっとタン
バッシアのビンタンマスに足を向けたのである。ビンタンマスでタンバッシアがガンバン
を叩くと、ボタンはパントゥンを唄って相和した。ボタンはタンバッシアの心を深々と握
ることに成功したようだ。


タンバッシアがついに結婚式を挙げた。だいぶ待たされたシム家の娘も本懐を遂げたこと
になる。ところがこの結婚式を使って、タンバッシアはまた世間に対する傲慢な姿を示し
た。華人マヨールをもてあそぶ意図がどれほどあったかについてはよく分からない。

結婚の祝宴はひと月間続けられ、その間トコティガの店の表通りを端から端まで使って歩
行者天国にし、一般人の馬や車が通行できないようにしたのである。現在はToko Tiga通
りとなっているおよそ250メートルの全域だ。その路上には四つの演芸団のうちの三つ
を招いて舞台上演を行わせ、毎夜、それぞれの舞台は黒山の人だかりになった。マヨール
の演芸団だけが呼ばれなかった。プカロガンから来させたタユブも、ひと月間通して歌舞
を演じた。また夜には中国製オランダ製の花火が打ち上げられて、プチナンの夜を彩った。

通りには物売が出てにわか夜市になり、バタヴィア住民が大勢集まって賑わった。このバ
タヴィア始まって以来の壮麗な婚礼の宴に、タンバッシアは3万5千フルデンを支出した
という話が市民の話題になった。

現在トコティガ通りと呼ばれているその道路は、バタヴィアが誕生してから数十年して地
域名称がPatekoanになったため、道路もパテコアン通りという名称になっていた。このパ
テコアンという言葉は純然たる福建語であり、八茶缶と書いてpat-te-koanと発音する。
[ 続く ]