「ロントン(2)」(2022年07月05日)

ソロにロントンソロと呼ばれるメニューがある。創始者のウイ・ロアンインさんは最初、
kupat lontongと呼んでいた。ところが徐々に人気が高まり、愛好者がロントンソロと呼
ぶようになったため、店主もそれに従った。一方、それにソロの名を冠することに違和感
を抱くひとはそれをロントンオポルとも呼んでいる。飯屋ワルンはもともとロアンインさ
んの母親が開いたものだ。

5人の姉弟の最年長に生まれたロアンインさんは、貧しい家庭の生計を助けるために結婚
しないで働くことを決意し、ソロのクレウェル市場で友人と一緒に氷菓を売る商売を始め
た。現在ソロ市庁舎があるグラダッ地区でワルンを借りてロントンの作り売りをしていた
母親がそれを見かねて、自分の商売を手伝うよう長女を誘った。そのときロアンインさん
はニ十歳になっていた。

母親のワルンは地の利の良さも手伝って商品がよく売れた。そのころは、米1キロで作っ
たロントンが売切れたら終わりという商売をしていたが、今では、ロアンインさんは一日
米10キロを消費している。ロントンと一緒に食べるためのオポルアヤムとサンバルゴレ
ントゥロルも作る。あれっ、それってロントンチャップゴメとそっくりじゃないの?


いやいや、ソロのロントンオポルは独自の工夫がなされている。牛肉や鶏肉のミンチを丸
めたサンバルゴレンクルニ、トゥロルピンダン、むしり鶏肉がロントンと合わされてそこ
にオポルの汁がかけられ、上からバワンゴレンと白い大豆の粉が振りかけられている。オ
ポルにはウコンとクミンが使われてスパイスが強く感じられ、また濃いめに作られたココ
ナツミルクのおかげで脂気が豊かだ。

わたしの印象では、ロントンチャップゴメは比較的淡白な感じがする一方、ソロのロント
ンオポルはもっと脂っこい雰囲気になっている。ソロでルバランを過ごすムスリムに、こ
のロントンソロがしばしば推奨されている。


グラダッのロントンオポルワルンは人気が高まり、客も増え、役所も何かの行事を行うと
きその食事のためのロントンオポルをそのワルンに注文するようにさえなった。数年間そ
んな状況が続いてから、不運がロアンインさんと母親を見舞った。建物所有者が賃貸契約
を延長しなかったのだ。ふたりは商売を続けていくためにソロ市内カリララガンの自宅を
使わざるをえなくなった。市内中心部から離れているわけではないが、繁華街でないだけ
に商売にとっての地の利は良くない。

自宅で10年間商売を続けている間に母親が没した。ロアンインさんは店をもっと良い場
所に移すことを計画し、もう少し繁華な場所で再開店した。


昔、わたしは料理ができなかった、とロアンインさんは往時を懐古する。料理をする母親
の指図のままに動き、言われたことを行って助手を務めているだけだった。自分が母親に
成り代わって料理をするなどということは、まるで思い浮かばなかった。

あるとき母親が急病になり、腹痛のために料理ができなくなった。その日注文されていた
料理を作る者がいない!ロアンインさんは自分が何をして良いのかわからず、ただオロオ
ロするばかりだった。その挙句、ロアンインさんが注文主からこっぴどく叱られた。

小学校4年で学歴を終え、一家の生計を助けるために働いてきたかの女は、その事件から
教訓を学び取った。自分も料理ができなければダメなのだ。母に何かがあったとき、自分
はその代理が努められなければならないのだ。それがかの女に成長することを促した。自
分が自分になって、自分として生きることがそれだったのだ。自分という一個の人間にな
ろうと努めたロアンインさんは、今では料理の腕達者になり、しかも味の判断すら自分な
りの感覚を築いて自分が作る料理に反映させている。それがかの女の作るロントンソロの
ファンを生み出しているのである。[ 続く ]