「黄家の人々(30)」(2022年07月07日)

カピタン・ガン・ジーは1666年に没した。ところが良い後継者が見つからない。VO
C総督はニャイ・ガン・ジーに、次のカピタンが見つかるまで代理を務めてほしい、と要
請し、夫人はそれを受けた。ニャイ・ガン・ジーは1678年まで公務を続けたものの、
年老いたために引退させてほしいと総督に頼み、第5代カピタン蔡煥玉(Tjoa Hoan Giok)
と交代した。ニャイ・ガン・ジーには総督庁から感謝状が贈られている。

そんな由来譚を持つパテコアン地区に、今やその名称を受け継いだ場所はもうなくなって
しまったようだ。


天下の公道であるパテコアン通りが勝手にふさがれたのだから、世人の苦情が起こらない
はずがない。カピタンが持って来た報告にマヨールは怒り、顛末書を添えて行政に訴状を
出すとともに、マヨール配下の者たちを現場に送って道路閉鎖を解除させようとした。

市中取締り警察がタンバッシアを召喚したが、行くという返事をしたにもかかわらず、か
れは邸宅から外へ出なかった。マヨール配下の者たちも、タンバッシアの命に従うチェン
テンたちに野良犬のように追い散らされて、なす術もなかった。

マヨールはその報告を携えて副レシデンを訪れた。副レシデンは部下をタンバッシア宅に
送って、市中警察への出頭を命じた。副レシデンの部下には笑いながら「わかった。」と
返事したものの、タンバッシアの出かけた先はレイスウェイクの総督宮殿だった。

タンバッシアは知り合いのトアンたちと話をし、総督に会ってパテコアン通りをひと月間
婚礼の祝宴のために使ってよい、という許可をもらった。副レシデンと華人マヨールは沈
黙せざるを得なかった。


もちろん、タンバッシアは総督以下、総督府のお偉方や中堅幹部、あるいは軍人や商店主
たち西洋人をたくさん招待したので、西洋人たちも祝いの品を持ってトコティガの邸宅を
訪れ、祝宴に華やかさと威厳を添えた。プカロガンからもレヘントと姉のラデンアユや他
の親族たちが招かれ、何日も邸宅に滞在してブタウィ観光を愉しんだ。

新郎新婦は結婚披露の馬車行列を組んでバタヴィアの街中を練り歩いたから、トコティガ
地区でひと月間行われている婚礼祝宴の輝きは町中の隅々にまで浸透したに違いあるまい。
行列を見た住民たちは似合いの夫婦だと言ってほめそやした。馬車に飾られた黄金や大き
い宝石類と新婦の姿を飾ったあでやかな衣装や装飾品のきらめきが市民の目をくらませた
ことだろう。こんな華麗な結婚祝宴はバタヴィアで古今未曾有であり、末代までの語り草
になるとひとびとは絶賛した。


バタヴィア中にたいへんな話題をまいたウイ・タンバッシアの結婚はそのようにして行わ
れた。ところが、かれの女漁りはこれで終わるだろうと思いきや、その正反対になってい
ったのである。美しい女を目にすると、もう欲望を抑えることができなくなった。未婚で
あろうが既婚であろうが関係ない。金で片付くことは金で片付けるだけのことだ。かれの
チェンテンたちの美女探し仕事はますます活発化した。ボスであるシアの好みの女をアン
チョルのビンタンマスに連れて行けばほうびの大金がもらえるのだから、チェンテンたち
はボスの命を待つまでもなく、ずっと自主的に女を探し、女を見つけたらシアに報告して
期待を抱かせ、シアの期待を募らせながら女を口説いて成功報酬を大きくしていた可能性
は十二分にありそうだ。それはバタヴィアの美女たちにとって善き時代だったのか、それ
とも悪しき時代だったのか?

ピウンとスロはたいていいつも組になって仕事をした。ふたりはバタヴィアのプリブミカ
ンプンに入り込んで美女探しを行い、シア好みのプリブミ娘をビンタンマスに連れて行っ
た。たいていの親は大金を握らされるとうなずいて娘をふたりに委ね、娘が数カ月間家を
あけるのを承知した。[ 続く ]