「ナシトゥンパンの哲学(前)」(2022年07月07日)

ジャワ人の祝祭には必ずnasi tumpengが登場する。ソロやヨグヤカルタでジャワ人は、王
宮でも庶民の一家庭でもひとりひとりの通過儀礼を必ず祝うために、ナシトゥンパンも頻
繁に登場する。ただ単に婚姻や出産を祝い、死去を悼むことだけでなく、それらに絡んで
もっとたくさんの儀式や祝祭が営まれるのだ。

初めて懐妊した子供の妊娠七か月目の祝い・すべての子供の妊娠9カ月目の祝い・新生児
の5日目の祝い・へその緒がとれた祝い・へその緒を土中に埋める儀式・婚姻儀礼の中で
新郎新婦の沐浴の象徴として行われるシラマン儀式・婚礼前に行われる新郎新婦の独身最
後の日の祝い・結婚の誓約の儀式・死後40日目の儀式・百日目の儀式・死後千日に達す
る前に三回行われるムンダッピサン儀式・ちょうど千日目に行われるニェウ儀式。

コミュニティの共同生活のためには、収穫を共同で刈り取る祝い・墓地をきれいにする共
同奉仕の祝宴・植え付ける稲が豊作になるよう共同で祈るときの祭り。

王宮ではまた独自に、大奥が行う喜捨の儀式・王宮で相伝された宝物の浄めの儀式。そし
て王国の祝祭行事として毎年カレンダーに従って祝われるグルブッシャワル、グルブッマ
ウルッ、グルブッブサールでは山のように大きなナシトゥンパンが作られ、たくさんの民
衆が取り囲んで食べ物をいただく。

だからどこの家庭もナシトゥンパンの作り方を忘れる暇がない。たとえナシトゥンパンが
祝宴のためにのみ作られて日常の食事として食べることがまったくなされなくても、ジャ
ワ人の暮らしの中にナシトゥンパンはいつもあるのだ。


ジャワ人の祝祭は人間が生きることに関わる三つの哲学を常に思い起こさせるものになる。
人間と人間、人間と自然、人間と神という、ひとりひとりの人間の生を取り囲んでいる三
要素との関係を尊重することが、人間として存在し、生きて行くための重大な命題になる
のである。ナシトゥンパンはその哲学を象徴している。

例によって、バクロニムの大好きなジャワ人はtumpengを頭字語にして、意味をかけた。
tumapaking panguripan, tumindak lempeng, tumuju Pangeran.
生とは神の道を目指すことだという考えを人間は保持しなければならない、という意味だ
そうだ。ジャワの民は人間の生が目に見えない力の影響を受けていることを感じ取り、そ
してそれを真理として深く認識している。そのために、ナシトゥンパンを開くときには、
必ず神への祈りが最初に捧げられる。

ジャワ文化の中で古代から伝えられてきたラマヤナ物語の中にトゥンパンが述べられてお
り、またアルジュナウィジャヤやキドゥンハルサウィジャヤでもトゥンパンが祝宴を示す
ものとして語られる。1814年から23年までかけて制作されたスラッチュンティ二の
書にも、ナシトゥンパンの登場するシーンが描かれている。


ナシトゥンパンは、竹製の大きな円形の箕にバナナ葉を敷き、その中央に飯が円錐形に立
てられる。それをひとびとはgununganと呼ぶ。そしてグヌガンの周囲におかずが整然と彩
りよく並べられるのである。そこに集められるおかずが、ジャワの民の哲学を反映するこ
とになる。生野菜urap-urapan・テンペtempe・若い果実のルジャッrujak buah・イモ類
umbi-umbian・豆類kacang-kacanganがそれだ。

昔はグヌガンを作るのに、竹を編んで円錐形に作った蒸し器が使われた。今は金属製の型
を使って成形する。飯を円錐形にしてそれを山と呼んだのは、古代文化の中にあった山を
神聖視する観念に由来している。飯が高く積み上がって行く形態は暮らしの向上という希
望を反映しており、同時にその希望が神への願いと祈りであることを表している。

周囲に集められたおかずはバラエティに富む自然を象徴し、そしてナシトゥンパンを供食
するひとびとにそのバラエティを共有する実質上の繁栄をもたらすのである。そこには、
人間は他の人間と共に生きるのだという思想が流れている。

ナシトゥンパンは、万物宇宙を支配する神に向けられた人間の願い、万物世界を構成する
自然との調和的な共生、それらの中で生きる人間同士の調和的な共存、という三つの哲学
を象徴するものになっている。[ 続く ]