「黄家の人々(32)」(2022年07月11日)

タンバッシアを夢中にさせたこのタンダッ踊り娘はマサユグンジンという名前だった。
Mas Ayuというのは貴族の家に生まれた娘に対する敬称だ。父親はジャワ貴族のプリアイ
であり、公務を担っていた。

グンジンがまだ幼いころ、重病に罹ってそのまま死ぬと思われた。この娘はもう助からな
いと父親は諦め、「もし助かればタンダッにでもしてやるのに。」と口走った。すると病
は快方に向かい、しばらくして快癒した。父親は自分が口にした言葉を実行せざるを得な
くなった。神がこの娘をタンダッにしたいと望んだようにかれは思ったのだ。少女期に入
ったころから父親は娘にタンダッの歌舞を学ばせた。

子供から娘になったマサユグンジンが芸を演じるようになると、プカロガンの町の男たち
はこの娘を自分のものにしようと競い合った。タンダッと踊る男は、踊りながら相手に近
寄って頬や顔に口付けする。唇にしてよいのは二人だけになったときだ。タユブやタンダ
ッなどの踊り娘はたいてい、肉体を求めるファンに身体を許して謝礼を受け取った。昔の
舞台役者たちも似たようなものだった。それを娼婦と見るか、性の自由と見なすかは考え
方次第だろう。だが少なくとも、当時のジャワ島の社会に女の側にも性の自由があるなど
という考え方は存在しなかった。あったのは本人たちの心の中だけだったにちがいあるま
い。ひっきょう、役者や踊り娘が世間からどのように見られていたかは明白だろう。ラデ
ンアユがマサユグンジンをどう見なしたかは想像に余りある。

しかしマサユグンジンはさすがにマサユの敬称にこだわり、貴族階層の親に恥をかかせて
はならないと考えて、身持ちの硬いタンダッ踊り娘として世の中を渡っていた。踊ってい
るときに相手の男が顔を近づけて来ても、めったに口付けさせなかった。そんな踊り娘が
その夜、バタヴィアから来た印象の良い大金持ちの青年が自分に夢中になったことを知っ
たのである。

プカロガンの町をあげての、レヘントの長男の割礼祝いが終わった後、レヘントの使いが
仕事の話を持って来たとき、はたしてかの女はそれが自分の運命の転機になることを想像
しただろうか?


レヘントは義理の弟の様子を注意深く観察していた。かれは同じ男として、タンダッに熱
を上げた弟に思いを遂げさせてやりたいと思った。しかし妻がそれを望んでいないことも
よく知っていた。そこでレヘントは秘策を講じた。プカロガンの県外にある迎賓館且つ公
務旅行者用の宿舎でもあるプサングラハンにタンバッシアを数日間滞在させ、その間にゲ
ストの慰安のためにタンダッを演じさせてマサユグンジンとタンバッシアを接触させれば
よい。

プカロガンにいる間、満たされない恋心のために憂鬱な顔を続けていたタンバッシアは、
プサングラハンへの旅の間も表情の晴れることがなかった。レヘントが気を変えさせよう
としていろいろ話しかけても、タンバッシアは上の空だ。

馬車がプサングラハンに到着し、レヘントが先に立ってタンバッシアを中に導いた。中に
入るとガムランの演奏が始まり、そして女の歌声が流れた。ガムラン楽団の前に座って歌
っているシンデンを見たタンバッシアの相好が崩れた。かれが思い焦がれていたマサユグ
ンジンの姿がそこにあったのだから。

レシデン閣下の急用ができたために自分はプカロガンに戻らなければならないが、タンバ
ッシアは気に入れば数日間ここに逗留して構わないので、戻りたくなったらここの使用人
に言ってくれ、とレヘントはタンバッシアに言った。義理の兄の心遣いをたいへん喜んだ
タンバッシアはレヘントの手を握ってトゥリマカシを連発した。


レヘントが去ると、タンバッシアはすぐにスレンダンを手にしてタンダッを相手に踊り始
めた。タンバッシアがマサユの頬に触り、そして口付けすると、マサユも悦んで頬を差し
出した。プカロガンの町にこんな素敵な華人プラナカン青年はいない。知的で明るく、女
が好む女の扱い方を知っている男だ。タンバッシアが誰はばかることなくその地の姿を見
せたとき、マサユの心はかれに惹かれた。[ 続く ]