「黄家の人々(34)」(2022年07月13日)

馬車行列の観光も無事に終わり、一行はプサングラハンに戻った。タンバッシアは翌日プ
カロガンに戻ることをみんなに告げ、滞在中の厚意を謝した。そしてここを去る前に、こ
のあたりの村々に住んでいる年寄りがどのくらいいるのか見てみたいから、男と女の年寄
りを今日の夕方、全員プサングラハンの表に集めてくれ、と頭たちに依頼した。

年寄りはたいてい家の中で暮らしているので、白髪や禿の、盲で歯抜けで腰が曲がった年
寄りたちが一カ所に集まることなど起こらないものだ。それを一カ所に集めて眺めようと
いう趣向も相当な酔狂だろう。

太陽がまだ高い、遅い午後の時間に、大きな行李をいくつか積んだ馬車がプカロガンから
やってきた。チタ布とサルン、頭を覆うバティック布とそれより小型の手巾が大量に入っ
ていた。


午後4時ごろ、プサングラハンの表で年寄りたちの賑やかなざわめきが聞こえ始めた。プ
サングラハンでタンバッシアの世話役を務めているレヘントの部下が、タンバッシアに言
われた通りに年寄りたちを整列させた。爺さんたちは表門の右側、婆さんたちは左側に並
び、年齢で上中下三つのグループに分ける。それぞれのグループは全体の最年長者三人が
先頭に立ち、上グループの先頭にいる全体の最年長者は旗を持つ。

4時半ごろ午睡を終えたタンバッシアとマサユが寝室から出て来て、花畑に置かれたテー
ブルで茶を飲み、菓子を食べた。菓子はラデンアユがプカロガンから送って来たものだ。
それが終わるとタンバッシアとマサユは手をつなぎ、後ろにふたりの女性を介添え人に従
えて表に出て来た。みんながブタウィのババチナに最敬礼する。

タンバッシアはやってきた年寄りたちの顔をひとりずつ見て回った。爺さん婆さんの顔と
姿を眺めるのが面白くてたまらないようだ。吹き出しそうな顔に行き当たると、数回に一
度は笑いがはじけた。

集まったのは爺さんが67人で婆さんは89人。三人の最年長者は爺さんが98・94・
92歳、婆さんの方は102・97・96歳ということだった。その6人にはリンギッコ
イン3個と布製品一式が与えられた。残る150人の全員にひとり2フローリンと布製品
一式が与えられると、年寄りたちはみんな一斉に地べたにひざまずいてタンバッシアを拝
跪した。

そればかりではない。この爺さん婆さん大集合の催しはやはり地元民にとっても珍しい場
になったわけで、年寄りを送って来た家族ばかりか、たくさんの村人や子供たちも見物に
やってきていた。タンバッシアはその全員にひとり50センと手巾一枚を与えたのだ。
町内頭には100フローリン、町内役場の役付きは25フローリン、そして布製品はそれ
ぞれ4セットが与えられた。

この噂はたちどころにプカロガンの市内にまで広まった。自分の生まれ故郷であるプカロ
ガンにタンバッシアはたいへんな好評と名声を築くのに成功したようだ。バタヴィアでの
かれの評判とは大違いだ。

キムニオにせよタンバにせよ、ウイ・セの子供たちは父親が恥を抱いて落ちのびた故郷に
おける一家の名誉を、それぞれのやり方で回復させることに努めたように見える。ただ、
かれら自身が父親のことをどう思っていたのかはよく分からない。

バタヴィアでただの放蕩息子と見られたタンバッシアも、世の中における人間評価のメカ
ニズムを父親と同じように熟知していたことは十分に察することができるだろう。違って
いたのは、世間に対して自己がへりくだるかどうかという姿勢が完全に逆方向になってい
た点だ。タンバッシアの精神は現代人のものにより近かったのかもしれない。


陽が落ちる前に、爺さん婆さん大集合の祭りは幕を閉じた。タンバッシアとマサユは中に
入り、プサングラハンの表門は閉じられた。夕食を終えたあと、明日からしばしの別れに
なることがタンバッシアの心をふさがせていた。[ 続く ]