「ヌサンタラの麺(5)」(2022年07月15日)

もっと大規模な全国規模の組合もある。生麺とバソの生産者466人および作り売り販売
者2万9千人を糾合するトゥンガルラサだ。ジャボデタベッ地区で活動している会員は生
産者100人、販売者5千人にのぼる。

生産者の多くは自分も作り売りワルンを開いたり、トゥカンミーを擁してその面倒を見な
がら製品を販売させているところも少なくない。そうでなくても、作り売り販売者はたい
ていが生産者の大切なお客様になっている。パサルで売られている品物の仕入れ値で買え
るのだから、生産者から買うのは当たり前の経済原則だ。最低規模の商売をするトゥカン
ミーはたいてい、一日に麺2キロ、24食分を商っているという話だ。


グロバッで商売するトゥカンミーの売物はたいていがmi ayam、mi bakso、mi pangsitだ
った。パンシッは福建語の扁食piansitに由来している。マンダリンでピエンシと発音さ
れる扁食はインドネシア語のパンシッになったのである。インドネシアでパンシッはワン
タンを指している。

ジャカルタだけで何千人もいるグロバッ屋台のトゥカンミーたちが作るミアヤムは標準的
に次のようなものを素材にしている。小麦粉の黄色麺、鶏肉、ニンニク、白菜、ネギ葉、
醤油、食用油、ニワトリブイヨン。鶏肉はしばしばキノコと一緒に調理されてトッピング
になる。他のトッピングは白菜・ネギ葉、時には冬菜が加わることもある。そしてバワン
ゴレンが最後に振りかけられる。

ミバソの場合はアヤムの代わりに肉や魚団子のバソ、ミパンシッは揚げワンタンか茹でワ
ンタンがアヤムの代わりに載ったり、追加されたりする。つまりトッピングのバリエーシ
ョンがミアヤム・ミバソ・ミパンシッというメニューを生んでいるということだ。


麺生産者に抱えられたトゥカンミーはラッキーだろう。しかしそんな幸運にめぐり会わな
いまま、トゥカンミーになるひとも山のようにいるのだ。

グロバッは出来合いを買うこともできるが、最低限の資本で事業を始めたいひとびとはた
いてい自分で作る。板を買ってきて大工仕事をし、作った屋台に車軸と車輪をはめる。鍋
・コンロ・食器類も買わなければならない。2001年の話だが、それら一式を用意する
のに百万ルピア超の資金が必要であり、そして回転する商品の仕込みには一日5万ルピア
超のコストがかかった。

それだけの元手資金すら用意できないひとはパートナーを探して一台のグロバッを共有し、
使用時間を二分してその時間に自分の商売を行った。住宅地での巡回販売が困難さを増し
て来た時代のことでもあり、かれらはたいてい金を払って土地を占有し、客が来るのを待
った。パサル敷地内の片隅のような合法的な場所では地代もべらぼうなものでなかったが、
歩道などの公共空間は行政役人ややくざ者が関与するためにべらぼうなものになる傾向が
あった。クバヨランラマ市場では2X3メートルの地代がひと月10万ルピアだったそう
だ。


南ジャカルタ市ルバッブルスの公共事業省社宅街の一角にミアヤムのグロバッを据えて商
売しているダルトさんは、その稼業を始めてほぼ半世紀になる。これは2005年の物語
だ。

かれがトゥカンミアヤムになったのは1956年で、最初はジャティヌガラのカンプンム
ラユをショバにして18年間続け、その後東ジャカルタのクレンデルの積層住宅地に移っ
た。1983年に居所を変えたためにルバッブルスで巡回販売を始め、最終的に公共事業
省住宅街に腰をすえることになった。[ 続く ]