「黄家の人々(38)」(2022年07月19日)

ある日、カピタンの地位にあるリー・カプティアンが、タンバッシアに意見しようとトコ
ティガを訪れた。ウイ・タイローと肝胆相照らしたそのカピタンはタンバッシアにもっと
着実な人生を歩むように諭そうとした。
「大金を湯水のように使い、それを見せびらかして他人を平伏させても、意味はない。人
間は人格を磨いて他人の頭を下げさせるのが真に偉大なことなのだ。金には限りがあるし、
どんな金持ちであっても上には上がある。自分がこの世の最高の金持ちだなどとうぬぼれ
てはならない。」

自分がバタヴィアで最高の金持ちだと思っているタンバッシアはその言葉にムッとした。
自分の父親くらいの年恰好のカプティアンに向かって、かれはとげのある声を放った。
「このバタヴィアにオレ以上の金持ちがいると言うのか。あんたがオレ以上の金持ちだと
言いたいのか!」
「わたしの財産はたいしたものじゃない。しかし少ないというものでもない。」
「じゃあ、なにか。あんたの方がオレより金持ちだと言うんだな?」
「わたしにもそれなりの金はある。わたしは他人と財産比べをして、勝った負けたなどと
いうことをする気はない。わたしがここへ来たのは、親しかったウイ・タイローのために、
息子のあんたに忠告したかったからだ。財産比べをするために来たんじゃない。」
「あんたがオレより金持ちだと言うのなら、表のパテコアン川を金貨銀貨でせきとめてみ
ろ。オレは今からそれをして見せてやる。あんたも自分の金を今すぐ持って来て、せきと
めろ。口だけなら何とでも言える。」

このカピタンリーは実のところ、たいへんな金持ちだった。パシリハンの土地だけでも1
00万フルデンの価値がある。それ以外にもバタヴィアのあちこちに土地を持っており、
現金に不自由したこともない。熟年のカピタンは十二分の思慮分別を持っていた。すぐに
血が煮えたぎる若者ではない。タンバッシアの反応にかれは失望し、やってきたことを後
悔した。善かれと思って来たというのに、この体たらくだ。わしは何という愚か者だった
んだろう。

自分と同じようにウイ・タイローを愛した仲間たちに、カピタンリーは自分の体験を話し
た。その時から、華人コミュニティの指導層はタンバッシアを完全に突き放してしまった。
頭領のマヨールひとりが、中途半端な立場を維持した。


植民地政庁東インド総督が任期を終えて帰国することになり、レイスウェイクの総督宮殿
で使われていたさまざまな品物が競売に付された。親しくしてもらっていたタンバッシア
がその競売の買い手の主役になった。華人オフィサーや華人大商人たちもそこへやってき
たが、どんな値を付けてもタンバッシアがその上を押さえたため、ほとんどかれの独り舞
台の観を呈した。

この総督は1845年から1851年まで任期を務めたヤン・ヤコブ・ロフッセン第50
代総督ではないかと思われる。次の第51代総督ダイマー・ファン・トゥイストの任期は
1851年から56年までであり、タンバッシアが没した1856年に帰国した総督の家
具競売であれば、この先の物語が続かなくなってしまう。

総督宮殿を飾った家具調度品だから、バタヴィア随一の高級品ばかりだ。その中に総督専
用馬車も含まれていた。ヨーロッパ製の大型馬車で、黄金塗装の装飾が入っている。VO
C時代には、総督専用車は6頭立てで他の者は6頭を使うことが禁じられていたし、総督
の権威をしのぐような馬車の飾り方も禁止されていた。植民地時代も同じだったのかどう
かはよく分からないが、植民地最高権力者の真似を他の者に許したとは考えにくい。

だが、大金を払って手に入れたその馬車をタンバッシアが見せびらかさないはずもあるま
い。その日夕方、タンバッシアはさっそく馬をつながせて馬車でプチナンの中に繰り出し
た。マヨールの邸宅とカピタンリーの邸宅の前ではことさらゆっくり総督専用馬車を走ら
せたし、他の華人オフィサーの家の前をもわざと通るようにした。これ見よがしのその行
為はすべての華人オフィサーを怒らせるのに十分だった。[ 続く ]