「黄家の人々(39)」(2022年07月20日)

一介の華人市民が最高権力者の真似をするとは何という僭越なふるまいか。同じ華人コミ
ュニティ構成員として許せない行いだ。社会倫理を知らず、社会秩序を乱そうとする傲慢
な恥知らずには思い知らせてやらなければならない。華人オフィサーたちは一斉にマヨー
ルに陳情した。知らぬふりを装っていたマヨールも大勢の部下に迫られては動かざるをえ
ないから、権利を持たない一介の市民が総督の馬車を使っているという内容の顛末書と訴
状を作って市中取締り警察に提出した。

警察は翌日、事情聴取のためにタンバッシアを召喚したが、タンバッシアは出頭しない。
かれはバタヴィア随一の腕利き弁護士であるメステルAバックルを雇って警察に赴かせた。
弁護士はバタヴィア市警長官にかけあった。

警察があの馬車を市中で使用してはならないと言うのなら、総督帰国時にどうしてあの馬
車の競売を許したのか?少なくとも、その条件が競売の時に公表されてしかるべきではな
かっただろうか。ましてや植民地政庁が定めたどの法律規則にそれが謳われているのか、
それを示していただきたい。

バタヴィア市警長官には返す言葉がなかったから、苦虫をかみつぶした顔で弁護士に言っ
た。「よろしい。今回だけはおおめに見よう。だが、現在ただ今からそれを禁止する。こ
れは総督庁の権威を守るためだ。」


マヨールが出した訴状が却下されて無罪放免になったタンバッシアは喜んだ。1千フロー
リン紙幣が一枚入った封筒をタンバッシアは弁護士に渡し、尋ねた。「もしもわたしがあ
の馬車をまた使ったら、次はどうなる?」
「せいぜい罰金でしょう。」

弁護士の答えにタンバッシアはカラカラと笑い、手を差し伸べた。弁護士はその手を握っ
てから自分の事務所に戻って行った。


その日夕方、また総督の馬車がプチナンを巡った。馬は銀を飾った馬着を着せられ、御者
と助手は金筋の入った山高帽と手袋を着用し、馬車の飾りつけも前日より更に手の込んだ
ものになっていた。

馬車はまた前日と同じようにマヨールの邸宅、カピタンリーの邸宅、そして他の華人オフ
ィサーたちの邸宅前をノロノロと歩いてデモンストレーションしたから、たいていのオフ
ィサーたちは家の中に引っ込んでしまった。

マヨールのタンバッシアに対する引っ込み思案な姿勢から、カピタンリーはマヨールとタ
ンバッシアの間に何かあるのではないかと疑い、諸情報を集めて借金がらみの弱みではな
いかと読んだ。マヨールはあからさまに肯定しなかったものの、カピタンはマヨールの資
金サポートを請け合ってマヨールのタンバッシアに対する姿勢を強化させるのに成功し、
マヨールもタンバッシアからの借金が法的に証明されないことを自分の強みと考えて、今
後はタンバッシアにもっと強く出ることを約束した。マヨールは再び訴状を市中警察に提
出した。

市中警察はタンバッシアに罰金刑を与えた。橋をひとつ渡るごとに25フローリンの罰金
だった。二日目の夕方に渡った橋は6カ所だったから、タンバッシアは150フローリン
の罰金を納めた。もう一度同じことを行えば次は体刑に処す、と警察はタンバッシアに申
し渡した。タンバッシアが総督馬車を使うことはもうなかった。


タンバッシアが恋心を燃やしたマサユとの関係も、長い時間が経過するうちに熱が下がっ
て来た。それぞれの女を知り尽くし、扱い尽くしたあとには飽きが来るのだ。何事によら
ず、人間には多かれ少なかれ、そんなところがある。おまけに、タンバッシアが新しい女
を求めようとしなければ、チェンテンたちに成功報酬のボーナスが入って来る機会もなく
なってしまう。タンバッシアが数カ月ごとに女を替えていたころは、美女を連れて来るた
びにボーナスが乱れ飛んでかれらは大いに潤っていた。だからかれらにとってマサユがど
ういう存在であったのかについては語る必要があるまい。またマサユへの熱が下がる状況
にチェンテンたちがどんな影響をもたらしたかについても、述べる必要はないだろう。
[ 続く ]