「黄家の人々(40)」(2022年07月21日)

しばらく前にタンバッシアのチェンテンに加わった華人がいた。他の華人富裕者の用心棒
をしていた男で、若くはないが気の利く点がボスに好かれるタイプだ。名をリム・セーホ
ーと言う。ウイ・チュンキがこの男を引き立てて仲間に入れた。既に美しい華人娘を何人
かタンバッシアに差し出して実績をあげている。かれが前に勤めていたボスからタンバッ
シアに乗り換えたのは、タンバッシアが出すボーナスの気前の良さが原因だったのかもし
れない。

ある日リム・セーホーがプチナンの場末をうろついていると、長屋の一軒から物売の男が
天秤棒の荷を担いで出て来た。新客と呼ばれる中国からヌサンタラへの出稼ぎ者だ。かれ
らのほとんどは出稼ぎ先で没したから、出稼ぎ者と言うよりは移民一世という言葉に近い
だろう。ウイ・セもガン・ジ―も出稼ぎ先で没した移民一世だ。

新客は福建語でニューゲストを意味し、インドネシア語になっていてsingkekと綴られる。
シンケはたいていプリブミかヌサンタラ生まれの混血者を妻にして子孫を作ったので、子
孫はプラナカンと呼ばれる。シンケとプラナカンは対語もしくは反意語として使われた。
純血華人のシンケと混血者のプラナカンは外見的によく似ているものの、文化的資質は大
きく異なっているのが特徴的だ。

新客は文字通りの意味が「新来の人」であるというのに、ヌサンタラでは非プリブミ系純
血者の意味を持つようになった。語源が中国語だから中国人に関連して使われるのが普通
で、オランダ人やアラブ人などに使われることは稀だ。おなじような立場の移民一世であ
るオランダ・アラブ・インドのひとびとに対してはジャワ語源のtotokがよく使われてい
る。トトッはそのものズバリ、純血者・非混血者を意味していて、Belanda totok, Cina 
totok, Arab totok, India totokなどのように使われる。


その新客の巡回雑貨売りが出て来た家の扉がしばらく開いたままになっていたから、セー
ホーは覗くともなしに家の中を見た。家の中は貧しくむさ苦しいありさまで、若い女がひ
とり家事をしていた。セーホーの目はその女に釘付けになった。汚れた服を着、髪の毛も
ボサボサだったが、丸顔の表情は美しく整っていたのだ。

「おっ、こりゃあ磨けばシアがよだれを垂らすぜ。」貧しい女ほど簡単に金で転ぶことを
熟知しているセーホーはすぐに情報を収集した。隣の家にいる、おしゃべりで噂好きを絵
に描いたような中年女に少し金を握らせて、その女の事を聞き出した。

シンケ雑貨売りは鄭姓の男で、リーシーという名の女はその男の妻だった。田舎で生まれ
育ったプラナカンだ。セーホーはすぐにタンバッシアを探した。アンチョルのビンタンマ
スにいたシアに素晴らしい女を見つけたことと女についての概略を報告し、もしお望みな
ら連れて来ますぜ、と言う。マサユへの熱が冷めてきたタンバッシアは、新しい女を欲し
がっていた。もちろん自分の気に入る美形でなければならない。つまり決定は自分でその
女を見た上でのことになる。セーホーはリーシーを一度シアに見せなければ腰を据えて仕
事をすることができない。セーホーがその機会を設けるための資金として50フローリン
が渡された。セーホーはリーシーへのアプローチを開始する。


セーホーは巧みにリーシーと知り合いになり、仲良くなってからある日外に誘い出した。
タンバッシアが馬車の中に隠れて見ている路上を、セーホーはリーシーを連れて通った。
顔と姿をじっくり観察できたわけではなかったものの、タンバッシアの目は女の美しさを
確かに見て取った。リーシーを自分のものにする気持ちが固まった。金をかけていいから
女をビンタンマスに連れて来いとかれはセーホーに命じた。

ある朝、リーシーが夫と喧嘩した。プカロガン製バティックのサルンを買いたいからお金
をちょうだいと夫にねだったのに、夫は金がないと言ってそそくさと仕事に出かけて行っ
た。リーシーの気持がくさったのをセーホーは利用した。気晴らしにアンチョルへ行こう
とリーシーを誘い出し、カハルに乗せてビンタンマスを目指した。アンチョルに入ると、
知り合いの別荘に寄ってみようと誘った。タンバッシアはビンタンマスでリーシーが来る
のを待ち構えていた。[ 続く ]