「ヌサンタラの麺(11)」(2022年07月25日)

同じバントゥル県内のイモギリで、ミーレテッを使ってバッミジャワを作り売りしている
ワルンがある。イモギリ市場の向かいにあるスマルディオノさんのワルンでは、ミーレテ
ッゴドッ、ミーレテッゴレン、そしてミーゴレンとナシゴレンを混ぜ合わせたMagelangan
と呼ばれるメニューが作られている。マグラガンと呼ばれているのは、マグランの住民が
その食べ方を好んだためだと言われている。

常連客からカンスムと呼ばれている店主はニンニク・ククイ・塩コショウを油で炒めてブ
ンブを作る。先に湯がいてあったミーレテッとブンブをからませ、アヒルの卵とアヤムカ
ンプンのむしり肉を加え、アヤムカンプンの鶏肉ブイヨンで作った濃い汁を加えた上に、
ネギ葉・トマト・キャベツ・ニンジンを載せると、バミドゴッが出来上がる。

調理はヤシ殻の炭を燃料にする木炭コンロが使われる。バッミジャワは数皿分をまとめて
作ることを決してせず、必ず一回に一人前を作るから、客が立て込むと待ち時間が長くな
る。肉厚の鍋は店じまいするまで洗わないで、毎回調理に入る前に熱湯をかけてすすぐだ
けだ。

カンスムの一日の仕込みはミーレテッ4キロ、アヒルの卵100個、ニワトリ2羽などで、
それで百食超をこしらえる。2014年の価格は一食1万ルピアだった。今でもほとんど
変わっていないだろう。

ミーレテッはバントゥル県スランダカンで作られたものが使われている。雨季になると生
産量が減るために品不足が起こる。カンスムはその辺りのことを十分に心得ていて、雨季
前に仕入れ量を増やす。ミーレテッは保存状態が良ければ3カ月以上日持ちするのだ。バ
ントゥル県一円でミーレテッはよく知られている。パサル内でもあちこちの売場で売られ
ているし、作り売り販売もイモギリ市場周辺だけで十人くらいが行っている。


カンスムは祖父が始めたワルンを受け継いだ。祖父はミーレテッを使うワルンバッミジャ
ワの先駆者のひとりだったそうだ。そのワルンはカンスムの父が受け継ぎ、そして今三代
目の経営になっている。カンスムは小学校以来、弟と一緒に父親のワルンの手伝いをし、
37歳になってやっと調理することが許された。

このワルンは翌朝の夜明け前まで営業している。深夜からはカンスムの弟が交替するのだ
そうだ。カンスムのワルンは常連客がたくさんやってくる。イモギリ近辺の住民はたいて
い持ち帰りをするが、ヨグヤから来てその場で食べるひともいる。このワルンには6人掛
けの長テーブルがひとつあるだけだから、順番待ちの客があふれることも少なくない。立
っている客が増えると、カンスムはゴザを広げてかれらを座らせる。

ヨグヤカルタからイモギリへの道程は広大な水田地帯を通過する。夜にはそこに蛍火の塊
があちこちにできて、通行人のノスタルジーをかきたててくれる。


比較的ファナティックなムスリム種族が多いと見られているスマトラ島でも、どの土地へ
行こうが麺料理がある。つまりそれだけ華人がどの土地にも入り込んだということだろう。
アチェ特別州の州都バンダアチェにすらプチナンが存在するのである。
アチェの麺料理については拙作「アチェ料理」:
 http://omdoyok.web.fc2.com/Kawan/Kawan-NishiShourou/Kawan-58MakananSumatera.pdf
をご参照ください。

パダン人も伝統的に麺料理を作ってきた。茹で麺mie rebusと焼きそばmie gorengである。
パヤクンブの伝統料理とされているミールブスは酢とルンダンのむしり肉が混ぜられて独
特の風味を醸し出している。茹で麺には赤い色の汁がわずかばかり入る。赤色は言うまで
もなくトウガラシのせいだ。麺は卵麺が使われ、牛の骨髄から取ったブイヨンはたっぷり
コクが効いている。作り方はこうだ。[ 続く ]