「黄家の人々(43)」(2022年07月26日)

シンケの夫はもうワルン商売どころでなくなった。店を開くのも忘れて、朝からパサルラ
マのリーシーの邸宅にやってきて、道の向こう側から表門が開くのを眺めている。一目で
いいからリーシーの姿を見たいのだ。何日もそれが続いたある日、かれの期待がやっとか
なえられた。門が開いたとき、中にいるリーシーが見えた。きれいな服を着て、見違える
ほど美しくなったリーシーの顔と姿が、ほんの数秒間だったもののかれの目に捉えられた。
だがリーシーは表門の向こう側にいる夫にまったく気付かなかった。

夫はリーシーを取り戻したいと思った。もらった金を全額返して、妻を戻してもらうのだ。
かれはセーホーを探そうとしたが、どこに住んでいるかも分からなければ、名前もはっき
り知らない。かれにできるのは毎日パサルラマへやってくることだけだった。


毎日狂ったような暮らしをしている夫の姿をリーシーが目にしたのは、だいぶ経ってから
のことだ。ちょっとの間開かれた表門の外に、門の前を行ったり来たりしている汚らしい
格好の男がいるのを見た。リーシーは驚いて叫びそうになった。それが夫であることはは
っきりと判った。続いて自分がその男をそんな風にしてしまったという良心の呵責がかの
女の心に突きささった。その瞬間からリーシーに変化が起こった。

憂鬱に陥ったリーシーは笑顔を見せなくなり、食事の量も減り、身づくろいも構わなくな
り、邸内の自分の部屋に閉じこもることが増えた。ババがやってきても、かつての恋する
女の姿はもう見られなかった。タンバッシアがどんなにその気持ちをほぐそうとしても、
氷のような空気が返って来るだけ。タンバッシアは腹を立てた。

リーシーがどうしてこのようになってしまったのかについてのわけは、既にかれの耳に入
っていた。かれはその怒りをリーシーにぶつけた。「門や窓から外を見て男を探すような
ことをするなら、夫もお前もたいへんな目に会うかもしれないぞ。」

自分を責めていたリーシーの心に、今度は恐怖が加わった。夫の身の上を案じる不安が上
乗せされたのだ。こんなに非情な男を恋したなんて、わたしはなんという愚か者だったの
かしら。

取り付く島もないリーシーを部屋に下がらせたタンバッシアは、自分をないがしろにした
リーシーへの腹いせをすることにした。その夜のうちに、かれはピウンとスロを呼んで命
令を下した。リーシーの夫だったシンケをこの世から消せ。ふたりはさっそくその仕事を
するために、夜の町に消えた。


それから三四日経過してから、ジラキンの一商店主が市中警察に届けを出した。隣のワル
ン店主の姿が何日も見えず、店は外から施錠されたまま一度も開かれていない、という内
容だ。そのワルン店主は最近よく店を開けずに外出することが多かったが、夜には戻って
来て寝泊まりしていたので、家にも戻らなくなったことに不審を抱いて出された届け出だ
った。

警察はすぐに地区担当華人オフィサーを連れてそのワルンを訪れ、錠をこじ開けて中を捜
索した。ワルン店主は失踪しており、屋内にはまったく異状が見られず、商品も現金も自
然なままの姿になっていた。店が盗賊に破られたのでないことは明らかだ。

しかし、失踪した店主の足取りを探ろうにも、情報がまったく得られない。店主の背景に
ついては、借金取りがそのワルンにやってきたこともなく、現金も潤沢に持っていたから、
金銭や商売がらみでのいざこざとは思えない。また他の面で店主が敵を持っていたような
証言も得られなかったから、店主が襲われて被害者になった可能性よりも、店主が自らな
んらかの事情で姿を隠したのではないかという見方が警察内で強まり、警察捜査もだんだ
んと下火になっていった。

マヨールも独自にこの事件を調べた。鄭姓のそのシンケはだいぶ前にリム・セーホーの仲
介で妻をタンバッシアに渡し、5千フローリンを手に入れたことがあるという情報が得ら
れた。しかしそれとこの失踪を結びつける情報など何も得られなかったから、マヨールの
頭の中でそれらは無関係のこととして扱われた。[ 続く ]