「ヌサンタラの麺(18)」(2022年08月03日)

バリ島でワルン食堂に入ってイーフーミーを注文したところ、茹で麺が供されて驚いたこ
とがある。自分が食べたいものを説明すると、そりゃtamieのことだ、と言われた。それ
以来イーフーミーを食べたくなると、そこへ行ってターミ―を注文しているわけだが、
tamieが何物であるのかを調べてみたものの、インターネットで答えを見つけ出すことは
できなかった。

ta-という言葉がマンダリンなのか福建語や大陸南部の地方語なのかもわからないのだか
ら、漢字を探し出すのは困難だ。台湾MinNan語辞典の中に、乾という文字が台湾語のtaと
いう言葉を示すために使われることがあるという一節があり、乾麺という漢字を台湾人が
tamiと発音した可能性がひとつ見つかっている。

ともかく、ジャカルタの外でイーフーミーを食べようとすると、それがミークリンである
ことを先に確認しておく必要があるだろう。もちろん、わたしがマカッサルでない土地で
ミークリンと言う場合は乾麺の意味であり、マカッサル独特の麺料理であるMi Keringを
指しているわけではない。


2002年4月のコンパス紙記事に、記者がマカッサルでミークリンのワルンを訪れた話
が載っている。午前2時、街中は深い眠りに落ちているのだが、ところどころにある、市
民が集まってノンクロンする場所は不夜城の観を呈している。マカッサル人のノンクロン
は24時間フル回転だそうだ。

ミークリンのワルンもフル回転であり、誰かが席を立つと待っていたひとがすぐそこに座
る。このワルンもミークリン一本槍で、他のメニューはない。客が黙って席に座れば、ミ
ークリンが運ばれてくる。


ワルンの表で料理人のひとりが家庭用鍋の5倍くらいもある巨大な鍋でブンブを炒めてい
る。ブンブに熱が通って香りが立ち昇ってきたら、鶏の肉・砂嚢・肝・バソの切身・グリ
ーンキャベツその他の具がどんどん中に投じられる。具ができあがってきたころ、別のコ
ンロにかかっている大鍋からブイヨンをすくってそこに入れ、トウモロコシ粉と溶き卵を
加えてトロミをつける。ブイヨンの大鍋には大量の鶏の骨・首・手羽・脚などが熱湯と一
緒に入っていて、熱湯が減ってきたらすぐに水が継ぎ足されている。

料理人は頻繁に粘土製の炉の中の炭の位置を調整して、均一な温度を保つことに意を注い
でいる。炭火は扇風機の一定の風の下で最大限の熱を鍋の底にもたらしているようだ。人
気のあるワルンはたいていが昔ながらの火力を使っていて、ガスコンロは好まれていない。
伝統的作法に従っているとも言えるが、炭火が料理にもたらす味と香りはガスコンロに太
刀打ちできないものだと炭火ファンは一様に語っている。

炉の隣に大きい机が置かれていて、そこに乾?が山積みされている。店員が客の数に合わ
せて皿を並べ、それぞれの皿に乾麺を一個ずつ置いて行く。その上から出来上がった具と
汁が注がれ、さらにネギ葉やバワンゴレンが振りかけられると、ウエイターがそれを客の
前に運んで行く。今や遅しと待ち構えていた客は、さっそくミークリンを賞味にかかるの
である。


マカッサルのミークリンはもちろん地元の伝統料理ではない。これはマカッサルの華人プ
ラナカンで食堂主だったアンコ・チャウ氏が編み出した麺料理なのだ。そのためスラウェ
シ島の他の町へ行っても、これと同じものはなかなか見つからない。たまに見つかると、
そのワルンの主はマカッサル人だったということが普通らしい。

アンコ・チャウ氏の食堂では、1950年代からこのミークリンが供されていた。たまた
ま食堂の向かいがホテルだったので、宿泊客がかれの食堂をよく利用し、また部屋への出
前を頼んだりした。ホテル客の間でミークリンが評判になり、そのうちにかれの食堂で売
れるものはミークリンがほとんどになった。[ 続く ]