「ヌサンタラの麺(22)」(2022年08月09日)

かれが落ち着いたのは広島だった。1944年にかれは広島高等師範学校の講堂で開かれ
た音楽会で、持ち前のバイオリンの腕を披露している。だが1945年8月6日、広島市
内の寮で何人かの特別留学生仲間と暮らしていたかれをたいへんな運命が見舞うことにな
った。米国人が日本人に対して行ったヒューマニズム粉砕に、かれは巻き込まれたのであ
る。原爆だ。

いや、米国人のヒューマニズム粉砕という一面的な見方をするべきではないだろう。あの
時代の米国人にとって日本人はかれらと同じヒューマンではなかったのだし、日本人とて
同じであって、米国人は日本人と同じヒューマンではなかった。その意味でお互いに精神
面における違いは何も無く、違っていたのは文明の差が生み出した兵器の質と量の差だけ
だったように思われる。原爆にしろ火炎放射器にしろ、いずれもが人間を焼き殺すための
ものだ。可能な限り多数の敵を殺傷しようとする局面にヒューマニズムが働く余地はある
まい。そして米国人が高い合目的性を持つ兵器を作ったことが、現代ヒューマニズムから
見るとヒューマニズム粉砕現象を引き起こしたということになるのではないか。

大日本帝国も自らが築いた文明の極致を尽くして武器兵器の開発を行った。それが先進国
であるための条件だったのだから、今更何をか言わんやだろう。ヨーロッパ諸国が先進国
になったのは、姿かたちが違い文化言語が違う連中を自分たちと同一のヒューマンと見な
さず、同じ人間ではあっても野獣に近い者として遇し、その土地の富を収奪したことがそ
の結果を生んだのではなかったろうか。先進国という言葉をもっぱら経済の規模や質で計
る視点しか持っていないひとびとが世の主流を成しているように思われるのだが、その言
葉はもっと文化社会的な側面が付与されてしかるべきではあるまいか。先進国になった根
源にあるものが反ヒューマニズムと富の収奪であったというのに、経済活動の面からだけ
そこを眺めていて果たして核心に肉迫できるのだろうか?


1945年8月6日午前8時、広島市内の大きい川沿いに建っている二階建ての寮から学
校に向かおうとしていたサガラ青年はB−29の爆音を耳にした。かれは部屋の窓を開い
て空を眺めた。高高度に浮かぶ空飛ぶ要塞は日光を反射して白くきらめき、長く伸びた白
い筋を引いて進んでいる。広島の地元民にとってはもう見慣れた光景になっていた。地元
民もそれを眺めてよく「きれいねえ」とつぶやいていたものだ。

ところが思いがけなく、はじめて耳にする奇妙な音がした直後に巨大な閃光が空中を走っ
た。かれは窓を閉めて奥に向かおうとしたが、意識が遠のいた。だが朦朧とした意識の中
でかれは何が起こったのかを察知していた。寮に爆弾が落ちたのだ。閃光の直後、爆風が
四散しながら轟轟と音を立てて上空に舞い上がり、しばらくしてキノコ雲になった。耐え
られない熱気が周辺一帯を埋めつくしていた。

かれは自分の身体が動かないのに気付いた。崩れた建物の破片の下敷きになっている。顔
は血まみれで身体は動かせず、周囲の高熱に取り巻かれている自分を、かれの意識はこれ
が死というものかと冷静に観察していた。同時にかれは故郷にいる母親に呼び掛けていた。
母さん、ぼくは親の恩を返すことなく死んでいくのだろうか?まだ小さい弟妹たちをその
まま残して?いや、ぼくは母さんを助けなきゃいけないんだ。まだ死ねない。

そのとき、かれの身体を抑えつけていた建物の大きな破片が崩れ落ちた。圧迫は軽くなっ
たが、身体を埋めているこまごまとしたものの下から這い出すことはまだできない。「助
けて!」かれは大声で叫んだ。だれかが遠くでサガラの名前を呼んだ。同じ特別留学生仲
間のハサン・ラハヤの声だ。ハサンは学友のサガラとサイッの名前を呼び続けていた。

駆けつけて来たハサンはサガラを掘り出して学友が生きていたことを喜んだ。ハサンは寮
から近い場所にあった会社の事務所の女子社員ふたりをも救い出した。ふたりの女子社員
はインドネシアの留学生に命を救われたと喜んでいたものの、後日、放射能被ばくによっ
て結局世を去らなければならなかった。[ 続く ]