「ブッ、ブディ、ブダ(1)」(2022年08月12日) インドネシア語のブディという語は実に幅広い語義を持っている。KBBIに記された budiの語義はこうなっている。 1.善悪を判断するのに使われる、理性と感情の統合された精神機能 2.資質、性格、ふるまい 3.善行、徳 4.工夫、努力 5.奸計を創出できる知恵 インドネシア語のブディは「覚った、啓蒙された・教化された」という意味を表すサンス クリット語のbuddhiが摂りこまれたものだ。語根は「理解する」を意味するbudhであると いう説明になっているから、つまりサンスクリット語でブッディはブッの過去分詞形とい うことになるのだろうか? このブッディから、ブッディという状態になった者を表す語としてbuddhaができた。ブッ ダとはブッディなる者ということになる。その流れを見るかぎり、サンスクリット語でブ ッダはブッディが示す状態を人間に当てはめたものと解釈できるように思われるため、語 源系統図ではブッディがブッダの上位に来るのではないだろうか。つまりはブッからブッ ディが派生し、それがブッダを生んだということのように思われる。 そのブッダを華人が音写して、漢字で佛陀と書く言葉が作られた。日本に佛陀の文字が伝 えられて、日本人はそれを「ぶつだ」と読んだ。そのうちにその読み方にだんだんと音便 が働いて、今では「ぶっだ」と発音され、仏陀と書かれている。音便が読み方を原語に近 付けた稀な例のひとつかもしれない。 佛陀という語の形成について中国語ウィクショナリは、佛は彷彿から取られたものと説明 している。陀の意味は斜めとか険しいといったもののようだ。音写だから、元来持ってい た語意語感の妥当適切な文字がその外国語にふさわしいあり方で選択されたにちがいある まい。ちなみに佛陀の中国中古代発音はビュッダだそうだ。 ブッダの中国語「佛陀」は短縮され、「佛」だけで「佛陀」と同義語になった。日本語で 「佛」を「ほとけ」と読むのは、古代中国で佛陀を音写するときに登場した「浮屠」に関 わっているという説がある。浮屠の中国中古代発音はビュドゥオだが、昔の日本人はそれ を「ふと」と読んだ。それに家または気を意味するケが添えられて「ふとけ」→「ほとけ」 になったそうだ。佛または仏の訓読みが「ほとけ」になっているとはいえ、この訓読みは 和語に由来していない。 一方、インドネシア語にもブッダの語は摂りこまれた。中国文化を経由せず、ダイレクト にサンスクリット語が入って来たのだ。現代インドネシア語標準規範であるKBBIには Buddha/Budhaの語義が次のように記されている。 1.シダルタ・ガウタマが開いた宗教 2.ブディズムの奥義をきわめた人間 3.シダルタ・ガウタマの再来 インドネシア語ではBuddhaとBudhaのふたつの綴りが認められているから、ブッダと発音 しようがブダと発音しようが、そのいずれも正統であることがオーソライズされている。 ところがサンスクリット語にはブッディとまた別にボディという語もあって、意味が微妙 に異なっている。英語ウィクショナリに記された語義はこうだ。 buddhi : 知性、知識、理性、理解、思考力、理知、判断力、意識 bodhi : 完全なる知・叡智、啓蒙・教化された知性、悟りの樹 悟りの樹とは菩提樹を意味している。[ 続く ]