「ブッ、ブディ、ブダ(終)」(2022年08月18日)

ここには、bodi satuwaが二回、bodiが二回、そしてBudhaが一回登場する。当然、日本の
般若心経も同じだが、心経の方は菩薩が一回、菩提薩□一回という形になっていて、完全
形と短縮形に別れている。

どうしてそうなったのかと疑問を感じて調べてみたところ、出だしの部分の第二語になっ
ているAvalokitesvara Bodhisattvaが観自在菩薩(別名観世音菩薩)と翻訳されたためだ
ったことが解った。アワロキテシュワラは慈悲を具現するボディサトゥワという意味だそ
うで、そうなると原典のアワロキテシュワラとボディサトゥワは同格で復誦するような趣
を感じることになるのだが、本当にそうなのかどうかはよく分からない。


原典の第一語、最初に述べられているaryaは「尊い」「誉れ高い」「高貴な」を意味して
おり、近代にヨーロッパで発展したアーリア人種論の語源になった単語だ。これも古い昔
からジャワ語に入っており、現在はインドネシア語としても認定されている。中世から近
世にかけてのジャワの諸王国の王子にPangeran Aryaの称号を持つ人物はたいへん多い。


この中にインドネシア語に摂り入れられた単語がどれくらいあるのかをざっと調べて見た。
*を付けた単語がインドネシア語になっていると思われるが、意味が現代インドネシア語
と同一のものもあれば、変化したものもある。わたしの気が付いていないものがあるかも
知れないが、それは宿題としておこう。

とりあえず言えるのは、なかなか数が多いのではないかということだ。フルダヤスートラ
はインドネシア人にとって分かりやすいものなのかもしれない。

Ariya* walokite suwara* bodi* satuwa* Gambira Parayia-paramita-cariya Caramano 
Wiawalukiti Suma 
Panca*-sikanda Asata Syar swa*bawa sunyi* Pasyati Suma
Iha Sari putra* rupa* sunyi* Sunyata*iwa rupa* rupa* Na Perita sunyata* Sunyata*
ya Na Perita Sa-rupa* 
Ya rupa* Sa-sunyata* Ya sunyata* Sa-rupa* Iwa Iwa Widaha sama Sam-sikara Wiyana
Iha Sari putra* Sarwa* Darma* Sunyata*-laksana* Anupanna Aniruda Amala A-wimala 
Anuna A-paripurna* 
Tasima Sari putra* Sunyata*ya Na Rupa* Na Wedana Na Samya Na Sam-sikara Na Wiyana 
Na Caksu Serutra Garna iwa 
Kaiya Manasa Na Rupa* Sabda* Ganda* Rasa* Siparistawiya Darma* Na Caksur-datur 
Yawan Na Manowiyana-datu Na Awidya Na Awidya Sayo Yawan Na 
Yara-marana Na Yara-marana Sayo Na Duka* Sam-udaya Niruda Maraga Na Yana Na 
Parapti Na Abi-samaya
Tasima Na Paraptituwa Bodi*satuwa*na Parayia-paramita A-sritya wi haratya Cita* 
Awarana 
Cita* Awarana Na Sititwa Na Tarasitu Wi-paryasa Ati-karanta Nista* Niruwana* 
Tri-adwa Wiyawastita Sarwa* Budha* 
Parayia-paramita A-sritya Anutara-samya-sam-bodi* Abi-sambuda 
Tasmaya yatawiya Parayina-paramita Maha* Mantra* Maha*-Widya Mantra* Anutara 
Mantra* Asama-samati Mantra* Sarwa* Duka* Pra*-samana Satiya Amityatwa Parayina-
paramita 
Ukto Mantra* Tadyata
Gate Gate Para-gate Para Sam-gate Bodi* Suwaha

正当かどうかは確信がないものの、上の分け方で分割されたものをすべて一語として数え
るなら、フルダヤスートラには206個のサンスクリット語が使われていると言うことが
できるかもしれない。そのうちでインドネシア語になったと言える単語を55個数えるこ
とができた。他にもwidyaやparamitaのような、インドネシアで地名や人名に使われてい
る単語もいくつかあるが、KBBIが標準インドネシア語と認めていないためにカウント
していない。もしそれらを算入するなら60個を超える。その数勘定はすべて重複を含ん
で数えているので、誤解なきようお願いしたい。

外来語が摂取されるとき、元の言葉の語義が変化するのは珍しいことでない。大きく変化
するものもあれば、変化がほとんど感じられないものもある。buddhi→budiなどは大きく
変化したもののひとつかもしれない。

ともあれ、サンスクリット語経典の中のほぼ3語のひとつがインドネシア語になっていた
と言う事実から、これはインドネシア語におけるサンスクリット語源単語の位置を象徴す
るものではないかという符合をわたしは感じた。[ 完 ]