「ヌサンタラの竹筒料理(1)」(2022年08月22日)

ヌサンタラには竹が豊富にある。世界の竹は10属1,450種を超え、そのうち124
種がインドネシア原産で、原生種は88だそうだ。ところが皮肉なことに、原生種の大半
が絶滅の危機に瀕している。土地の用途転換、中でも自然地が開発されて自然が狭まれば、
密集した竹の群生は姿を消すことになる。あるいは建築用途として乱伐されたり、また珍
種として外国に密輸出されたりといったことが、インドネシアの原生種を絶滅に追いやっ
ている原因だと言われている。


ヌサンタラに広く分布している竹は遠い昔から建築材料や家具材料として使われてきた。
最近では、バンドンのeul-eul、バニュワギ県メルブティリのFimbribanbusa、西カリマン
タンのSchizotachyumなどが高い有用性を持って活用されており、医療・建築・工芸など
の分野で効果的に使われている。

ジャワ島西部地方では、Ciamis, Tasikmalaya, Garut, Bandung, Purwakarta, Sukabumi, 
Subang, Cianjur, Bogor, Lebak, Pandeglang, Serangなどが竹の産地として有名だ。そ
れらの土地で生産される商業用の竹は65%がジャカルタで消費されていた。

1990年代に北ジャカルタ市パンタイインダカプッの住宅地区開発が始まったとき、海
岸沿いの湿地帯を埋め立てるために5百万本近い竹の需要が起こり、市場の一般需要に大
幅な品薄が発生したために竹の価格が5倍前後にまで跳ね上がったことがある。その時期、
タシッマラヤやチアミスから毎日、万に達する本数の竹が数十台のトラックに積まれてバ
ンドンやジャカルタに向けて走ったそうだ。

1997年のジョクジャ地震のあと、倒壊や破損した家屋建て直しのために竹の需要が高
まり、ヨグヤカルタ特別州一帯で建築資材としての竹の市場価格が2倍になったこともあ
る。需給関係がすぐさまダイレクトに市場価格に反映されるのはインドネシアの常識にな
っている。


昔はビルや背の高い構造物を建てるとき、工事中の屋根・壁や上層階の床などを支えるた
めに竹を使うのが普通だった。竹は太さも違えば湾曲性もあって、竹で組み上げられた支
え櫓は均整感のない不統一な歪みをいつも示していたから、鉄パイプで組まれる支え櫓を
見慣れていたわたしは、そんな場所を通るたびに不安感を抱いていたものだ。

その後、竹の持つ鋼鉄並みあるいはそれ以上の強靭さを知ったことで不安感は消滅したも
のの、わたし個人について言えば、あの不均整さには依然としてなじみにくい。インドネ
シアの建築業界も竹から鉄パイプへのモダン化が進んだために、かなり昔から竹の支え櫓
は減少傾向に入っている。その一方で、竹を使えばコストが大幅に削減できるから竹を使
う方がよいと奨める学識界からの声が強まって来た。しかしそのアドバイスに応じて、鉄
パイプをやめて竹に変えるようになった建築業者がどのくらいあっただろうか。詳細はよ
く分からないものの、鉄パイプを使う建築現場が減っているようには見えないのである。
人間とはどうも、そういうものなのだろう。


どこにでもある竹を素材に使って、インドネシア人は昔からさまざまな日常生活用品を作
ってきた。チャピンcapingと呼ばれるジャワ農民の竹編み笠、弁当箱のように使われてい
たベセッbesek、あるいは魚を獲るためのブブbubuと呼ばれる籠などがその一例だ。

ジャワ島西部地方の先住民であるスンダ人は昔から竹で家を建てて住んだ。スンダ語で巨
大な竹の柱はgombong、竹編みの壁や床はpalupuhと呼ばれている。awiまたはtamiangがス
ンダ語で竹を意味しており、ボゴール市の南東に位置する、プンチャッ峠への入口に当た
るCiawiは竹が多い植生にちなんで名付けられたという話だ。

スンダ人の家に入ると、台所にも竹製の什器類がたくさん置かれている。飯を炊くときに
使われる蒸し器、炊きあがった飯を移すための竹編みのザル、ボボコと呼ばれる飯櫃等々。
スンダ人は稲の女神であるデウィスリを祀るための祭事を行う。竹製台所器具類はそのと
きになくてはならないものになっている。[ 続く ]