「ヌサンタラの竹筒料理(2)」(2022年08月23日)

竹製の楽器アンクルンも最初はデウィスリを称えるために考案されて使われたという話で
あり、スンダ社会では太古から田植え作業とアンクルンのお囃子は付き物だったようだ。
楽器と言えば、スンダ伝統音楽に用いられるsuling Sundaもスンダ社会の必需品になって
いる。竹製のスリンスンダはしばしばダンドゥッ音楽の重要なパートを担っている。


東ヌサトゥンガラ州ではジャングルに自生している竹が乾季に商品になる。ティモール島
内陸部でbambu kakaと呼ばれているこの竹を採るのは容易でない。竹の小枝に鋭いトゲが
生えているからだ。

ティモール島原住民の家屋はlopoと呼ばれる。ロポはたいてい竹の棒を垂直に並べて壁を
作り、アランアランの草で屋根から軒下あるいは地面近くまでを覆う。小さい入口がひと
つあるだけで、人間は背をかがめて出入りすることになる。

乾季になると多くの家庭が家の補修を行う。その作業のためにカカ竹が必要になるので、
ジャングルに入って竹を採って来て、家の近くの道路脇に立てかけておくと、だれかが買
いに来る。雨季に雨が少なかったりしてトウモロコシが不作になると、乾季にカカ竹販売
に頼って生活する家庭も出て来ることになる。


バリ州ギアニャル県ブラバトゥ郡ブルガ村は竹工芸の村だ。ギアニャルの町の中心部から
南西に5キロほど離れた位置にあり、デンパサルからだとおよそ1時間の行程にある。1
970年ごろ、イ・ワヤン・ジャルサさんが隣人三人を誘って竹製家具の制作を始めた。
特にそこが竹の産地だったということでもない。材料の竹はお隣のバンリ県や中部ジャワ
から取り寄せている。竹製の椅子・机・タンスなどは中部ジャワやヨグヤカルタで作られ
ているものと大差ないが、仕上がりのち密さは明らかに差があるという評判だ。

創始者から今現在は三代目に引き継がれているブルガ村の竹製家具は、相変わらず一貫し
たハンドメードで作られている。ブルガ村が竹製家具生産の黄金時代を迎えたのは198
0〜90年代だった。そのころは1万世帯弱の村民が総出で生産に関わっていた。村では
子供に手伝いをさせなかった。作られる家具のち密な仕上がりは大人の手で維持されなけ
ればならないことを、全員が知っていたからだった。

黄金時代には輸出の受注がたくさん得られた。その利を狙って外国人観光客が村に住み着
き、外国から来た買付け人と村の生産者の仲介を行って利鞘を稼いでいた。その活動は非
合法なものだったが、非合法ビジネスを行う外国人を官憲にタレこむようなことはほとん
どなされなかったようだ。その傾向は今でもバリ島のあちこちで感じられる。

1998年の通貨危機によって、ブルガ村の黄金期は幕を閉じた。更に2002年と20
05年のバリ爆弾テロ事件がバリ島の経済を窒息させ、ブルガ村の活気もしぼんでしまっ
たのである。


バリ州東端のカランガスム県アバン郡ティスタ村にあるルンプヤンルフル寺院一帯に生え
ているbambu Pingitは聖なる竹として地元民に遇されている。ピ~ギッ竹はGigantochloa 
hasskarlianaというのが学名だそうだ。

ピ~ギッ竹の節の中に水がたまり、それを飲めば乳がん・不眠症・動悸の緩和に効果があ
ると言われている。地元民の間に不眠症が治ったと語るひともたくさんいて、地元では大
勢がその薬効を信じている。

医学的にもその水の組成分析検査が行われて、それらの症状に効果のある化学成分が含ま
れていることが明らかにされているため、単なる迷信とも言えないようだ。更にまた別の
化学成分や化合物も含まれていることから、その水の徹底的な解明が待たれている。ピ~
ギッ竹の水から作られた新薬の誕生も夢物語でないかもしれない。

植物学者の談によれば、この竹は新しい地元原生種ではないかと思われる由。実際に学名
Gigantochloa hasskarlianaはスマトラ・ジャワ・カリマンタン・バリに分布していて、
ボゴール植物園とバリ植物園のコレクションになっている。[ 続く ]