「ヌサンタラの竹筒料理(6)」(2022年08月29日)

[Kue Putu]
昔は夕方から深夜まで、ピーという水蒸気音を鳴らし続けながら屋台を引いて売り歩くク
エプトゥ売りの姿を住宅地で見ることができた。あの音は、竹筒に入れたクエプトゥを蒸
すときに蒸気が竹筒の中の隙間を抜ける際に出る音であって、故意に音を出しているので
はないという話だ。

クエプトゥはまず米粒を挽いて粉にする。それを一度蒸してからふるいにかける。緑色に
する場合はパンダン葉の汁を加える。白色にするならパンダン葉なしだ。それを竹筒の中
ほどまで緩く入れる。稠密にしないこと。

その上に濃い液状にしたヤシ砂糖を入れ、また上から米のドウを竹筒の端まで緩く入れる。
それを蒸し器に入れて15分ほど蒸すとできあがるから、竹を割ってクエプトゥを皿に置
き、上からココナツの果肉フレークをたっぷりかけて供する。

インドネシア語でputuと書かれるが、これはジャワ語でこの食べ物を指すputhuに由来し
ているとのことだ。この食べ物は中国の明の時代に作られ始めたそうで、その名はXian 
Roe Xiao Longだった。鄭和の船隊がヌサンタラを訪れた際にそれが紹介され、ヌサンタ
ラの一部の地方で16世紀ごろから朝食として食べられるようになったという説が語られ
ている。

クエプトゥはジャワからスマトラにかけての地方で盛んに食されている。マレーシアやシ
ンガポールでも作り売りされている。ジャワでは甘いおやつとして作られているこのクエ
プトゥだが、ブギス人はヤシの果肉フレークとサンバルを付けて食べるのだそうだ。


バリ島東端にあるカランガスム県の民衆祭事では、大宴会の食べ物の一切合切が竹筒で料
理されることが普通であるとのことだ。それはどうやら、味覚のチョイスよりもはるかに
実用性の面から選択された方法らしい。

というのも、村中にある鍋釜を総出で使っても大勢の口を満たすための量を作れきれない
というのが最大の理由になっている。かれらは遠い昔から伝統的に竹筒を使う方法で祝宴
を行ってきたのである。バリ民衆の実質的な暮らしは豊かな自然環境とそれを最大限に利
用する知恵に支えられていた。ひとびとは十分に豊かな暮らしを太古から営んできたにち
がいあるまい。

料理素材を竹に詰めて焼き、竹を割ってそのまま中身を食し、食べ終わったら多少食べ物
の残りかすが付いていても、その竹を捨てるだけで自然のリサイクルの中に完璧に呑み込
まれてしまって残留廃棄物など何一つない。その便利さは人類のモダン工業化社会が生ん
だ便利さと十分に渡り合えるものではないだろうか。

モダン工業化社会で作られたものがほとんど家の中に見当たらないということを貧困生活
の尺度に使っている現代文明人の思考方法は、人間の暮らしに利用できる諸物資を豊かに
蔵した自然が生活環境の近くにあるかないかという異なる変数を織り込んでの判断に修正
されるべきものではあるまいか。どうも、北の文明社会と名付けられたエリアに住むひと
びとの思考方法には南国にある非自己所有の自然の恩恵という概念が反映されていないよ
うに思えてならない。


北スラウェシ州ミナハサのひとびとも、やはり森が提供するものを活用して昔から生きて
きた。

南ミナハサ県西アムラン郡エルサン村は農園と原生林に囲まれた村だ。周辺にはヤシ農園
がたくさんある。住民たちにとって、原生林はスーパーマーケットのようなものだ。生活
のために必要な素材をそこから取ってきて、適宜加工して暮らしに役立てている。食料さ
えそうだ。米は買わなければならないものの、野菜や肉魚は村から1キロ以内の森の中で
調達できる。イノシシ・野鶏・野ネズミ・パニキ(コウモリ)・・・魚も少し離れた湖池
で淡水魚を獲ってくればいい。[ 続く ]