「手を洗う」(2022年08月31日) ライター: 文司、レミ・シラド ソース: 2002年3月23日付けコンパス紙 "Cuci Gudang, Cuci Otak, dan Cuci Tangan" cuci mata, cuci perut, cuci darah等々は多分インドネシア特有の表現だろう。しかし cuci gudang, cuci otak, cuci tanganなどは紛れもなく、種々の外国語の翻訳版なので ある。 チュチグダンは昨晩生まれたばかりだ。KBBIにもまだ採録されていない。この言葉は 百貨店スタイルのショッピングセンターが消費者大衆の関心を引いて買い物に誘う行為の 普及と歩を合わせて生育したものだ。それを流行させたのは、英語でビジネス理論を学ん だ広報担当者らマーケテイング上手たちだったようだ。イ_ア語のチュチグダンという言 葉は英語のclearance saleの訳語だった。 clearanceはbersihを意味するclearの派生語であり、それが短期間で倉庫をきれいにする ことがらに関連付けられたのは十二分に推察できる。 クリアランスセールという英語にトルコ語indirimli satislarという双子がいることを、 英語が分かるインドネシア人もほとんど知らない。インディリムリは「外へ出す」「中身 を減らす」を意味しており、サティスラルは「売る」の意味だ。 チュチグダンという言葉が使われるようになる前、商業分野でその意味を示すために一般 に使われていたのはobralだった。この言葉は「至る所で」「あちらこちらで」を意味す るオランダ語overalから間違って作られたものだ。オブラルを意味するオランダ語自体は uitverkoopなのである。もっとすごいことに、obral besarの垂れ幕を店の表に吊りまく るのがインド商人たちだったのである。 KBBIが既に標準インドネシア語に認定したチュチオタッは英語brain washingの逐語 訳だ。ところが英語のbrain washing自体が中国語の洗脳を逐語訳したものだったのだ。 洗脳とは、捕らえられた外国人を含めて文民と軍人を問わず中国に住む全ての人間に共産 主義がもっとも正しい思想であることを植え付けるために行われた共産主義イデオロギー の再教育メソッドのことだ。 この言葉は1969年にベトナム政府が米軍捕虜に対してそれを行ったことで世界中に知 られるようになった。もっと最近、インドネシアでもオルバレジームの時期にチュチオタ ッ現象が起こったことを忘れてはならない。 熟語としてのチュチタ~ガンは植民地時代のインドネシアにオランダ語から入ってきた。 その意味で使われるオランダ語自体も、オランダ語源のものでない。ギリシャ語文献カタ マッセオンをヨハネス・グーテンベルグが1455年に印刷して出したラテン語の書物の 中の物語からその意味がオランダ語の中に摂りこまれたのだ。 その古典文学のオランダ語訳が1618−1619年にドドレヒトの教区会議チームによ って作られた。その翻訳作品の中に、定見のないローマ人総督ポンティウス・ピラトゥス があの悲劇を生んだ原因だったという話が物語られていた。 チュチタ~ガンという熟語に関連する話のギリシャ語原文は: labon udor apenupsato tas kheiras katenanti tou oklou legon: Atoos eimi apo tou aimatos toutou hymeis opestehe. それはこんなオランダ語に翻訳された。 nam hij water en wies de handen voor de schare, zeggende: Ik ben onschuldig aan het bloed dezes rechtvaardigen. 「かれは群衆を前にして自分の手を水で洗った。あたかも、この者の血が流されたのは自 分のせいではない、とでも言うように。」というのがその意味だ。 権力者が責任逃れをしようとする姿を描いたその話から、オランダ語のwies de handenあ るいはhanden wassenという慣用句が生まれたのである。インドネシア人はそれを摂取し て、チュチタ~ガンという語にその意味を持たせた。 さまざまなチュチの語句の中で今もっとも流行っているのがチュチタガンだろう。という のも、インドネシアの高位高官たちにとってこのチュチタガンというのはかれらの特殊技 能のひとつになっているように見えるからだ。かれらが権力の座にある間に国家の金をほ しいままにしたことの責任追及をかわして法の手から免れるための最強の技能がそれなの だ。