「黄家の人々(70)」(2022年09月02日)

タンバッシア側は上級裁判所への上訴を行ったが、最上級レベルでの審判も巡回裁判所の
判決を支持したため、その道は既に閉ざされてしまった。だがまだ手段はある。総督に特
赦を願い出る道だ。ところが総督までもがタンバッシアの嘆願を却下した。こうしてタン
バッシアが死罪から免れる道はすべて閉ざされてしまった。

世間では、もしも前の総督がバタヴィアに残っていれば、タンバッシアは死刑を免れてい
ただろうと噂した。なぜなら1851年から56年まで任期を務めたダイマー・ファン・
トゥイスト第51代総督はタンバッシアとなじみの間柄だったのであり、人情として罰を
一等減じさせるように取り計らうのに吝かでなかっただろうことはだれにも大いに推測で
きたのだから。

その総督がオランダに帰国し、新任のシャルル・フェルディナン・パユ第52代総督が後
継したばかりの時期がそのころであり、タンバッシアは新総督と親しくなる前に犯罪者の
立場に落ちてしまったのだから、個人的ななじみのないタンバッシアという殺人鬼の嘆願
を受け入れるような人情を新総督が持っていなかったのも無理はない。タンバッシアにと
ってこれほど不運な巡り合わせはなかったにちがいあるまい。新総督は、プカロガンのレ
ヘントやバタヴィアのオランダ人商店主たちが請願したウイ・タンバの刑罰一等級軽減を
もすべて拒否した。


いよいよ、処刑の日がやってきた。最期の夜を刑務所内の独房で孤独に過ごしたタンバッ
シアは、斬鬼の念にあおられて熟睡できなかったようだ。勧善懲悪の実現を望んだ人たち
は被害者の幽鬼が復讐の最期の機会をたよって全員集合し、恨みつらみを加害者に思い知
らせたために熟睡できなかったのだと考えたかもしれないが、それはタンバッシアにその
夜の体験事実を尋ねる以外に知りようのないことだろう。よしんば、タンバッシアがその
問いにどう答えたにせよ、それが本当か嘘かを判定する術もない。タンバッシアの死なん
とする、その言や善しと果たして言い切れるだろうか?

刑務所内で午前5時の起床時間を知らせる鐘が響いた。バタヴィアの街のあちこちでも、
そこここの鐘の音がいつものように聞こえた。タンバッシアに残された時間は矢のように
去って行く。突然、独房の扉が開かれ、数人のオパスを従えて監獄長と市警長官が入って
来た。タンバッシアは全身白ずくめの服装にするよう命じられた。


その日は早朝から、たくさんのバタヴィア市民がバタヴィア市庁舎前の広場を目指して四
方八方から集まってきた。社会の敵、ウイ・タンバッシアの公開処刑を見るためだ。刑務
所にほど近いモーレンフリート沿いの大通りでも、人波が北に向かって流れた。その雑踏
が刑務所の中にまで聞こえて来た。

大勢の市民は見世物の見物気取りでやってきたのだろうが、広場に着いたひとびとはいつ
もの公開処刑とがらりと雰囲気が違っているありさまに驚いて、気を引き締めた。

絞首台が設置された市庁舎前広場は厳戒態勢に包まれていたのだ。首都防衛軍の一個小隊
が完全武装でやってきて絞首台を取り巻いている。プリブミ官吏の一団もやってきて、兵
隊と一緒に二重の輪を作った。

総督から植民地軍に対して、厳戒態勢の指令が発せられていたのである。首都防衛軍は兵
営内で即時出動可能な態勢で待機すること。総督がそんな指令を出したのは、タンバッシ
アが大地主になっている土地のひとびとが絞首台から大地主様を奪い取る計画を立ててい
るという情報や、タンバッシアの生死にかかわらずその身柄を奪って旗印にし、ジャワの
レヘントたちが植民地体制に反抗して武装蜂起する恐れがあるといった見解が総督庁に入
っていたのだから、総督が最大限の対抗措置を準備させたのも当然のことだった。
[ 続く ]