「ルジャッの真実(2)」(2022年09月02日)

ジャワ文化で妊娠7か月目に祝われるトゥジュブラナンの際に、妊婦とその女性の友人た
ちにルジャッがふるまわれる。そのとき、果実類がみな甘く感じられたら胎児の性別は女
であり、辣味やえぐ味の場合は男の子だという占いがなされていたそうだ。

オランダ植民地時代には、ヌサンタラにいるヨーロッパ人もルジャッを知っていた。ヌサ
ンタラに居住するオランダ人の多くがオランダ系プラナカンだったのだから、かれらの身
体の半分がヌサンタラ文化で構成されていたはずであり、知っていて当然だったと言える
だろう。そうでなくても、ヌサンタラ文化がごろごろ転がっている生活環境の中で暮らし
ていたわけだから、ヨーロッパ人の姿かたちをしていてもサンバルやトラシが大好物とい
う者がざらにいたことは十分に想像が付く。

植民地時代の中部ジャワでは、その食べ物はlotisと呼ばれていたという話だ。というの
も、ジャワ語でrujakというのは本来混ぜることを意味しており、ルジャッ方式で用意さ
れた食べ物の名称に別の言葉が与えられたことは自然に思える。それがいつの間にか食べ
物の名称になってしまった。そんなジャワの歴史を背負っているルジャッも今ではヌサン
タラの全土に普及し、ルジャッという言葉もフルーツサラダという意味の標準インドネシ
ア語になっている。


ルジャッの基本形態は果実の小間切れにヤシ砂糖・トウガラシ・ピーナツで作った甘く辣
いソースをかけて食べるもの、つまりフルーツサラダと呼ばれる概念にぴったりと合致し
ている。ソースがどのくらい辣いかということをその概念の当否を決める要素にするのは
おかしくないだろうか?

そんな考えをまるで皮肉っているかのように、rujak manisと名付けられたルジャッが存
在している。逐語訳するなら甘いルジャッになるわけだが、甘いだけのソースをかけたル
ジャッなどインドネシアには存在しないのだ。要するにこれは、ソースにトウガラシがど
んな割合で入っているかということとは無関係な話になるのである。


フルーツサラダ系で一般的なルジャッには、rujak serutやrujak colekなどがある。スル
ッは削るという意味で、果実類を薄く切ることから命名されたように思われる。チョレッ
は指先でこすったりすくったりする動作を指しており、突っ込んだりすくったりしてソー
スを果実に付ける食べ方に由来するものだ。

ルジャッスルッは果実とソースを混ぜたものが皿に乗るが、ルジャッチョレッはその名の
通り、切られた果実を乗せた皿の上にソースを満たした小鉢を置き、食べる時にフルーツ
を手に持ってソースの入った小鉢をチョレッする食べ方になる。


しかし野菜や他の食材が加えられたバリエーションもたくさんある。ジャワ人は、野菜の
ルジャッをrujak uleg、果実のルジャッをrujak manisと呼んだ。つまりrujak manisとは
素材の果実が甘味を持っていることに由来していて、甘い味付けのフルーツサラダという
意味ではなかったということなのである。

動物性の食材は混ざらないのが普通だが、ソースにエビ醤であるトラシが使われることも
あるし、全国にあるルジャッのバリエーションの中には、海産物や肉が混ぜられているも
のもある。


マレーシアやシンガポールにも類似のものがあって、マレーシア語の名称はrojakであり、
インド食文化の影響が色濃く感じられる食品になっている。インドネシアのフルーツサラ
ダの印象に反して、たいてい揚げ豆腐・ゆで卵・エビフライなどがロジャッの主素材にな
るのが一般的だ。その代表選手がmamak rojakだろう。インドネシア人はそれをrujak 
mamakと称する。どうして語順が逆転するのか?[ 続く ]