「マルタバッ・・!」(2022年09月09日)

ライター: ジャーナリスト、南スラウェシ出身、アンディ・スルジ
ソース: 2006年4月3日付けコンパス紙 "Martabak..!" 

最近、民族の尊厳に関する話が盛んに交わされている。その話は隣国オーストラリアとイ
ンドネシアとの外交関係のちょっとしたもつれに関連したものだ。

民族の尊厳とは、守られ、維持され、闘い取られるべきヒューマニズム上の価値であり、
自己尊重そのものである。国際交流の中で各民族の尊厳は、他民族から軽んじられてはな
らない大切なものだ。それが守られなければ問題が起こる。

尊厳martabatと本論のタイトルmartabakがどんな関係にあるのかだって?それはこういう
ことだ。たいてのブギス人にとって、語尾の-tも-kも発音は同一になる。ブギス人はどち
らの語も語尾を高くしてmartaba'と発音するのだ。ブギス人の発音に慣れていないひとは
きっと当惑するだろう。ブギス人がマルタバッと言ったとき、それはmartabatとmartabak
のどちらを指しているのだろうか、と。


martabakとはおいしい食べ物の名前だ。ヌサンタラ各地の道路脇で、作り売りされている
姿を見出すことができる。martabak売りは職業のひとつであり、生計の資を得る道だ。マ
ルタバッマニスがあり、マルタバットゥロルもある。ジャカルタ都民がマルタバッマニス
と言えば、その品物はすぐ分かる。小麦粉のドウを加熱型で焼き、チーズ・バター・チョ
コレート・チョコ粒・ピーナツなどのケーキ材料を中にはさんだものだ。ところがブギス
人はマルタバッマニスを知らない。同じ物をかれらはterang bulanと呼んでいるのだ。

しかしマルタバットゥロルなら、同じ名前で呼ばれている。作り方も同一で、のばし、叩
きつけ、切り刻むのである。かつて異民族がわが民族にしたのも、同じようなことだった。
わが民族はマルタバットゥロルのように、撫でのばされ、叩きつけられ、切り刻まれたの
だ。

そんなmartabakのように扱われたくないなら、martabatが他民族に卑しめられないように
したいなら、その民族はヒューマニズム上の価値を高めるために切磋琢磨しなければなら
ない。民族の尊厳と価値を高める方法はいろいろある。たとえば、民族のイメージと民族
性を失墜させている汚職を徹底的に撲滅したり、科学技術をマスターして人材の能力を高
めたり、民族生活の中の規律と勤労意欲を向上させたり、国民福祉を高いレベルで実現さ
せたりするといったことだ。

もうひとつ言えるのは、民族の一体性を打ち立てることだ。もしわが民族が完璧な連帯感
の中にあれば、異民族はわれわれに容易に手出しすることができないだろう。我々の内部
が分裂していれば、外部者は容易にわれわれを四分五裂にすることができる。ひびの入っ
たガラス板のように、ほんのわずかに触れるだけで崩壊してしまう。


ああ、これはただの一国民のぼやきに過ぎない。それほど大層に受け止めてくれなくても
いいのだ。この国が持っているたくさんのインフルエンサーや名士あるいは有能なひとび
との雄たけびに比べたら、こんなコラムに書かれた言葉にどれほどの意味があるというの
か?

わたしは日本の大阪で暮らしたときのことを思い出した。あるときわたしは立命館大学国
際関係学部の学生たちを前にしてスピーチする機会を与えられた。わたしは祖国の美しさ
や豊かさについて、誇りをもって物語った。ところがひとりの学生がこう尋ねた。「なぜ
あなたの国ではしばしば集団の衝突、権利の抑圧、野蛮な殺し合いが起こるのか?」

わたしはその種の集団暴動がいつでも起こり得る理由と背景をさまざまに説明した。わた
しは今、そのことを思い出したのだ。そんな様相を持つ民族がmartabatを持つ民族と言え
るだろうか。そんなのはmartabak民族にすぎないのではあるまいか。


日本では、優れた民族になるための意識付けが子供たちになされる。どうしてか。かれら
は安寧の中に生まれ、そして貧しい自然の中で生きるための生活コストの高さに出会う。

豊かな自然の恩恵に満ち溢れているわれわれとは違う。われわれの場合、自然の産物はた
いへん廉い価格で輸出される。たとえば、ブギス人がたくさん生産しているカカオの実は
米国やヨーロッパに廉い値段で売られ、かの地でチョコレートに加工されてインドネシア
に戻って来る。われわれはそれを天に届きそうな値段で買って食べているのだ。威厳が高
まったかな?

かれらが置かれている環境のために、日本の子供たちは学問を究め技術を駆使することを
教え込まれる。知能をいっぱいにし、情緒を豊かにし、勤労のために身体を強壮にし、規
律を最大限に高める。そのすべてが他民族より優れた民族になるためなのだ。martabak民
族にならないようにするためなのである。もちろん、日本でマルタバッはどこにも売られ
ていない。

martabakとmartabat。ブギス人にとっては何の違いもない。ブギス人の舌にかかれば、ど
ちらもmartaba'なのだから。