「さよなら死刑囚(5)」(2022年09月13日)

1639年、四人の女性が不倫の罪で死刑に処せられた。ニコラス・カセンブロートの妻
カトリナは夫の生前時から他の男と不倫を行い、またグナグナを使い、夫の死後も夫でな
い複数の男との性行為を続けていた。カトリナの仲間として捕らえられたVOC軍務社員
リンダーツ・ヤコブスの妻でプリブミのアニカ・ダ・シルヴァは、夫がまだ生きていると
きに複数の男と不倫を行い、夫を毒殺しようとした。アントネイ・デ・クニャの妻でイン
ド人のルシアも、夫でない男との性行為を行ったといった罪状で死刑の判決が下された。

カトリナに対する判決文には、水を入れた大きな樽に死刑囚を入れて溺死させるという処
刑方法が記された。他の三人は木に縛り付け、死ぬまで首を絞めてから焼きごてを顔に当
てるという処刑方法が与えられた。


1722年4月22日、今の中央ジャカルタ市サワブサル郡のパゲランジャヤカルタ通り
北部で数人の男に対する公開処刑が実施された。その当時、この通りはジャカトラ通りと
呼ばれ、高位高官や金持ちたちが住む高級住宅地区になっていた。

その通りに豪邸を構えるピーテル・エルベルフェルトが首謀者になった叛乱計画が未然に
発覚して、計画の中心人物が一網打尽にされた事件がそれだった。処刑はジャカトラ通り
北部の水路と道路が三角地帯を形成している空き地で行われた。エルベルフェルト邸のす
ぐ近くだ。そこはその事件の名残として、Pecah Kulitという地名で呼ばれるようになっ
た。見せしめ死刑執行の常設場所になっていたバタヴィア市庁舎前広場でどうして行われ
なかったのかについて触れている記事は見つからない。


1721年12月31日深夜、エルベルフェルト邸をVOCバタヴィア防衛軍が急襲し、
大勢の人間が逮捕投獄された。取り調べが行われて裁判にかけられる者がより分けられ、
そして裁判の結果、判決が下された。

判決。市民ピーテル・エルベルフェルト、バタヴィア生まれ、父白人、母黒人、年齢58
あるいは59歳。カルタドリヤ別名ラディン、カルタスラ出身ジャワ人。・・・・・・・
われわれ裁判官一同は汝らを死刑執行人に引き渡し、次の方法で処刑されるよう命じる。
各々は十字架に縛り付けて右腕を斬り落とし、腕・脚・胸は焼けた金テコではさんで肉を
バラバラにする。胴体は下から上に切り裂き、心臓を顔に投げつける。その後、首をはね、
柱の上でさらし者にする。バラバラにされた身体は城市外に放置して野鳥の餌食とする。

死刑判決を受けた者は19人で、そのうちの3人は女性だったそうだ。処刑方法を事細か
に記した判決文を見るがよい。判事団は有罪無罪の討議を行った後、最後に処刑方法の内
容まで懇切丁寧に討議したように思われる。ひょっとしたら判事団は、有罪無罪の討議よ
りもそちらの討議の方に熱を入れたのではあるまいか。

VOCが残した記録文書の中に見られるこの事件について、VOC高官が欧亜混血者ピー
テル・エルベルフェルトの財産を取り上げるために仕組んだ冤罪だったと見なす見解が今
では強まっている。この物語の詳細は「南往き街道」をご参照ください。
http://indojoho.ciao.jp/koreg/hzuider.html
[ 続く ]