「さよなら死刑囚(9)」(2022年09月19日)

スラウェシのトラジャ地方でも、慣習法の中に死刑があった。近親間性交を行った者は死
刑であり、方法は二種類のうちのひとつが選択できた。死ぬまで首を絞め続ける方法と、
中に大きな重石を入れた籐編み籠に入って海に投げ込まれる方法だ。


古い文献として、たとえばマジャパヒッ王国に法律書Kitab Kutara Manawaというものが
ある。その書で死刑はpatiと記された。パティは古代ジャワ語も現代ジャワ語も死を意味
している。そこに盛り込まれた内容の多くは、インドの慣習的なものや宗教的なものに由
来していた。

罪のない人間を手にかけて殺した者、罪のない人間を殺すよう命じた者、罪のない人間を
傷つけた者にはパティが与えられた。そればかりか、現行犯で捕まった盗賊にも死刑が与
えられることがあったし、王は自分の敵や謀反人に死刑を与えることができた。

処刑は波形短剣のクリスで心臓を突き刺す方法か、でなければ身体に重しをつけて海や川
に投げ込む方法になっていた。これはアルフレッド・ラッセル・ウオレスが1856年に
はじめてロンボッ島を訪れたときに見聞して書き残したものと同じだ。


19世紀にバリ島で死刑執行を目の当たりにしたオランダ人が書き残した文書を見ると、
次のようなことが行われたらしい。ある天気の良い早朝午前6時、バリ島のとある開けた
場所に、頭に白い布を巻いた4人の男たちが検事・村長・僧侶と警備兵たちに連れて来ら
れた。この4人はスードラ階級の者たちであり、計画殺人を犯したために裁判で死刑が宣
告されたのだ。

処刑される最初の男がまずブリギンの樹の下に立った。警備兵が男を動かないように抑え
ながらその両手を横に広げさせたから、囚人の胸がさらけ出させた。

抜き身のクリスを持った死刑執行人が前触れもなくいきなり躍りかかって胸を刺した。と
ころがその一突きは心臓に命中しなかった。すると執行人は続けざまに数回、死刑囚の胸
を刺した。囚人は地面に崩れ落ちる。即座に数人の警備兵が囚人の身体に飛び乗って、傷
口からたくさん出血させるように努めた。囚人が長時間苦しまないように早く死なせてや
り、そしてこの処刑の進行を早く終わらせるためだ。それが順番待ちの他の死刑囚の眼前
で行われたのである。


ヌサンタラのあちこちでイスラム化が進展するようになると、死刑はイスラム法に準拠す
る傾向を持つようになった。だが各地各種族の慣習として行われてきたものとイスラム法
がどのように混じりあったかについては、種族ごとにスタイルの差異が生じたように思わ
れる。

イスラム法では「目には目を」で有名なキシャシュと呼ばれる貸借原理が使われていて、
生命には生命をもって負債を返し、盗みは腕を切り落とし、暴行は脚を切り落とすことに
なっていた。賭博等は鞭打ちだった。生命をもって負債を返させる場合、たいていは断頭
刑が行われた。しかし被害者の遺族が犯人に赦しを与えるなら、法廷が下した死刑判決は
無効になった。

たとえばアチェスルタン国はイスラム法に倣って死刑執行の際にラジャムや断頭などの処
刑方法を行った。判決はスルタンが下した。不倫をはたらいた妻には死刑が与えられた。
処刑方法は犯した罪の内容によって決まるのが普通だった。rajamとは穴を掘って死刑囚
を立たせ、首から上だけを地面に出させて、その頭に石を投げて殺す処刑方法であり、ギ
リシャ時代から中東地域で行われてきた。この方法は特に残酷だったことから、確信犯に
妥当な処刑方法とされてきたそうだ。他にも、投げ槍の処刑や、臼の中で頭を潰す処刑法
なども行われた。[ 続く ]