「奇妙なイ_ア人の食嗜好(3)」(2022年09月21日)

辣いトウガラシの食習慣が時間とともにエスカレートしていくことはよく知られている。
最初はトウガラシ一切れで飛び上がっていたひとも、三年五年と年を経るうちにトウガラ
シの三つ四つはへでもない、という熟達者に成長するものだ。痛みの感覚は短期間に繰り
返されているうちに鈍感になっていくそうで、辛味が口腔内痛覚であるという根本原理を
そこに見出すことができるだろう。

おまけに痛みがあるレベルを超えると自己防衛機能が働いて快楽ホルモンが放出されるそ
うだから、トウガラシの究極が快楽感覚をもたらすためにトウガラシ愛好者はエスカレー
ションに努めているのではないかという憶測を語るひともいる。


味覚の発見史とでも呼べそうな、人類が味覚に気付いた歴史があって、しょっぱい味は西
暦紀元前3千年に古代エジプト人が意識を持ったそうだ。甘味は紀元前2千年、酸味は紀
元前1千5百年に発見された。もっとも最新の味覚が旨味であり、これは味の素の礎石を
築いた日本人が1908年に発見したとされている。

しかし旨味が国際的に科学者の間で取りざたされるようになったは1980年代ごろから
であり、そのときにumamiが国際語になった。一方日本人とてはるかに古い時代から「う
まみ」ということがらを認識してその言葉を使っていたのだから、何をもって発見と言っ
ているのか、その定義がいまひとつ曖昧に感じられる。


旨味は食物内に含まれている天然アミノ酸のひとつ、グルタメートがもたらすものだ。人
間の感覚に及ぼすグルタメートの働きはたいへん弱いため、ほとんどの人間に気付かれな
いでいたとある専門家は述べている。しかし、気付かれなかったものごと、意識されない
ものごとに名称が付けられるはずがあるまい。「おいしい」という言葉を持たない言語が
あるとは思えないから、おいしいという人間の内在的感覚が感知される限り、その感覚を
生じさせる外在的な何者かの存在は普通の人間なら容易に想像できたのではあるまいか。
その実体の究明に時間がかかったとしても、言葉が作られることはどこでも起こり得たは
ずだという気がわたしにはする。

グルタメートが他の味覚と混ぜ合わさって、人間に美味いという感覚を味わせていた。だ
ったら、グルタメートの欠けた甘味や咸味をどんなに強くしても、味は濃くなるが美味く
はないということになりそうだ。「コクがある」という日本語は形容詞「濃い」が名詞化
されたもので、砂糖や塩でなくグルタメートなどの旨味成分が濃いことを意味している。

インドネシア語にも食べ物に旨味があることを表現するgurihという言葉がある。食べ物
のおいしいことを表現するenakと対にされてenak dan gurihとしばしば用いられる点を考
えれば、インドネシア人もそれらが似て非なるものであることを認識しているように推測
される。残念なことにKBBIはそれらを同義語に定義付けているのだが、インドネシア
語文における現実の用法は旨味を意図して使われることが多い。

甘味はエネルギー源、苦味は抗毒、咸味は人体の電解質、酸味は人体器官を損傷させるも
の、旨味はタンパク質源と考えられている。人間が旨味として摂取するグルタメートはタ
ンパク質を構成していない遊離したグルタメートであり、豆類・米穀・発酵海産物・シイ
タケなどに含有されている。特に母乳はその50%が遊離グルタミン酸だそうだ。

人体では脳と筋肉に遊離グルタメートが多く、また肝臓・腎臓・血液に少量が含まれてい
る。脳や筋肉は食べるとうまいのだろうか?[ 続く ]