「奇妙なイ_ア人の食嗜好(5)」(2022年09月23日)

ブタウィ料理もけっこうユニークなラインナップを取り揃えていて、スンダ料理やジャワ
料理とは異なる様相を呈している。soto mi, kerak telor, laksa, asinan, otak-otak, 
nasi ulam, nasi kebuli, semur jengkol, ayam pukang, pesmol, ketupat sayur, toge 
goreng, soto tangkar, rujak juhi, sop kaki kambing, sop kaki sapi, pindang ban-
deng kecap ...

同じ名前のものがほかの土地にもあるだろうが、そこにBetawiの名前が添えられると品物
自体が違ってくるのだ。オリジナリティを持って創り出されたものではないが、外から入
ってきたものを発展させて自家薬籠中の物にするという創造性が多分ブタウィの体質だっ
たのだろう。そのようにして、ジャワ島内で有力なジャワ文化やスンダ文化とは一味違う
独自のものを持っていたブタウィ文化は、ジャワやスンダと十分に拮抗しうるものであっ
たように感じられる。

ブタウィ文化がジャカルタから影をひそめてしまったのは、ブタウィ人が父祖の地を外来
者に明け渡したからだ。世界各国の首都で起こったのと同じように、ジャカルタが首都と
して発展したとき、地価問題を中心にして先住民が暮らし続けることを困難にする状況が
いやおうなしにかれらを首都周辺地域に押しやってしまった。それを担ぐ人間のいないと
ころで文化だけが存在し続けるのは不可能だろう。

今や首都ジャカルタの文化はガドガド文化になり、ブタウィ文化はその代名詞ガドガドと
してしか残らないありさまになっている。たとえ首都が移転しようがするまいが、ブタウ
ィがジャカルタに復活することは歴史が許さないだろう。人間の歴史に逆戻りは起こらな
いのだから。


インドネシア料理とは何かという命題がインドネシア建国以来の話題になっていた。
今から50年くらい前、インドネシアにあるのは各種族のエスニック料理であって、イン
ドネシアのナショナル料理というものを求めることは不可能だった。ブタウィ料理・スン
ダ料理・ジャワ料理・ミナンカバウ料理・バリ料理などをインドネシア料理と称するのは
外国人に対して行うことであり、ヌサンタラの同胞相手にそんなことをしても首を縦に振
ってもらえる確率はきわめて小さかった。もちろんインドネシア料理という言葉の定義付
けの問題でもあるのだが、それぞれの種族文化を民族の名前で掲げることに深いこだわり
があったのも確かだ。

インドネシアという球体の皮を一枚めくってやれば、さまざまな種族が群居しているヌサ
ンタラというモザイク状の世界が出現する。インドネシアという球体の上に見えていた文
化はそれを下支えする種族文化という根が生んだ花なのであり、その根をわがものと見な
していない別種族にとっては共有感を持ちにくいものだったはずだ。

インドネシア国民の大多数が各種族の枠の中に沈んでいたそんな時代に全種族がうちそろ
ってナショナル料理と太鼓判を捺せるものは多分、オランダ人が各種族のエスニック料理
を集めてひとつのテーブルに載せたrijstafelのようなものしかありえなかったのではな
いだろうか。ひっきょう、これが東インドだとオランダ人が示すものが、ヌサンタラの全
住民に同一の視点をもたらすものになっていたということだろう。だがスカルノ初代大統
領はオランダ人に同調することを嫌った。レイスタフェルが否定されたら、もう後がない。
結局ああだこうだと言いながら、オルバ期前半ごろまでインドネシアのナショナル料理は
まだ影をひそめていたような印象だ。

ちなみに、レイスタフェルというのはオランダ語のコメを意味するrijstとテーブルtafel
が組み合わされた言葉で、オランダ語ではrijsttafelと綴られてレイスタフェルと発音さ
れる。現代オランダ人の中にはライスタフェルと発音するひともいるようだ。[ 続く ]