「マルチ肉食(2)」(2022年10月05日)

たとえば中部ジャワ州Kudusには、牛肉を食べないという不文律があった。話はマジャパ
ヒッ王国末期のジャワのイスラム化が進展していた16世紀前半にさかのぼる。

ジャワのイスラム化に多大な貢献をした9人のひとびとがワリソ~ゴWali Sangaとして奉
られている。その中のひとり、スナンクドゥスはクドゥス地方一帯をイスラム化するため
に働いた。ヒンドゥ=ブッダ文化の色濃いクドゥス地方のイスラム化に際してスナンクド
ゥスは、ヒンドゥ=ブッダ社会をイスラム社会に変えるためには対立姿勢を取らず、宥和
的共存的な姿勢で民衆の心をつかんでいくのが良いと考えた。

早々とイスラム化した一部の先進的な民衆に対してスナンクドゥスは、イスラムに近寄ろ
うとしない他の民衆に対して敵対や強制をしないように教え、無用な刺激を与えないで説
得に努め、またイスラム社会の生き方を身をもってかれらに示すのがイスラム社会をこの
地に打ち立てるために重要なことなのだと諭した。

牛を神聖視するヒンドゥ=ブッダ社会に配慮してムスリムも牛肉を食べないようにし、そ
の代わりに水牛を食べることに決めた。それが伝統となって、クドゥス地方のひとびとは
もっぱら水牛肉を食べてきたのである。そのために、クドゥス地方の伝統料理レシピは牛
肉でなく水牛肉が使われ、ひとびとはおのずと口と舌に慣れ親しんだ水牛肉を求める心的
傾向を抱えることになった。

牛肉がタブーにされたわけでは決してない。ムスリムがクドゥスのヒンドゥ=ブッダ社会
に強制をかけないことを原則にしたというのに、ムスリムの間で強制をしていては何をし
ていることやら分からない。それが宥和のシンボルであるという意味付けがなされたこと
で、ひとびとは宥和という善の価値を実践することを自主的に誇りを持って行うようにな
ったと説明されている。

スナンクドゥスはモスクを建てたが、モスクに不可欠のミナレットのデザインを中部ジャ
ワで見慣れたチャンディに似せて作らせた。これもヒンドゥ=ブッダ社会に対する宥和精
神の表れだろう。ちなみにインドネシア語ムナラmenaraはムラユ語源であり、アラブ語の
manaraが直接摂りこまれたものだ。英語のminaretはフランス人がトルコ語minareから得
たminaretをそのまま摂りこんだものらしい。その綴りをフランス語で発音するとトルコ
語に近くなるのだろうか。


クドゥスのひとびとは水牛肉をサテあるいはpindangやsotoといった汁料理にして食べる。
その三種類の料理で水牛肉の大半が消費されているそうだ。水牛のピンダンは東ジャワの
ラウォンに似たもので、ククイ・赤白バワン・トラシ・クルワッ・塩・ココナツミルクで
ブンブが作られる。ソトクドゥスという名称はソトアヤムで有名だが、水牛肉のソトも2
000年ごろから作られるようになった。この新趣向も地元民の人気を得ている。

水牛肉のピンダンを食べるときにムリンジョの木の葉を加えてやると、香りが添えられる
とともに舌に爽快感が湧きおこるという話だ。ピンダンクルバウを作り売りしているワル
ンの中に、それで人気を集めている店もある。


バンテン地方で、水牛肉の食品として有名なのがdendengだ。デンデンは薄くそいだ肉か
ら筋や脂を除去し、ブンブをまぶして乾燥させたもので、たいていそれを油で揚げて飯の
おかずにする。バンテンのデンデンクルバウにはヤシ砂糖・ナンキョウ・ショウガ・タマ
リンド・白砂糖・塩で作ったブンブが使われる。

昔バンテンではどの家庭でもデンデンクルバウが日常の食事に欠かせないものになってい
たというのに、食の現代化のおかげでおかずが多彩なものになったことから、今では生産
者も減り、売っている場所も少なくなってしまった。ところが数少ないながらも、デンデ
ンクルバウを探しにパサルにやって来る消費者がいるのだ。

セラン県のパサルチルアスにはデンデンを売っている店が一カ所しかない。そこは生産者
から委託販売を引き受けて置いているだけで、一日の売り上げは1キロ前後しかないが、
それでも毎日1キロくらいを買いに客が来るのである。[ 続く ]