「留学史(4)」(2022年10月07日)

わたしはシンガポールの大きいホテルに投宿した。ホテルのオフィスで働いている者はす
べてインド人で、ボーイや下働きの者は華人だ。上述の印象から、わたしは英語を使った。
ところがオフィスのインド人たちの中で、英語で長話できるのはひとりふたりしかおらず、
後の者はちょっと話せばそれで終わり。華人の下働き連中にいたっては、英語を話せる者
はおらず、いくつかの英単語を知っているだけ。華人・日本人・北インド人・南インド人
の商店へ行っても同じようなもの。ところがかれらのすべてがムラユ語を何不自由なく話
している。

それはいったい何を意味しているのか?この国際都市シンガポールでの異人種間共同生活
で、英語よりもムラユ語の方が大きい役割を果たしているということなのだ。わたしは路
上でふたりの華僑がムラユ語で会話している姿を目にした。

インドネシアの全土で、マラッカで、シンガポールで、ムラユ語が使われている。ビジネ
スにも旅行にも、ムラユ語が有用なのだ。そんな実態を見るにつけ、プリブミ子弟教育の
中でムラユ語を教える必要はないという声が中部ジャワで上がっていることにわたしは不
可解の思いを禁じ得ない。

ジャワ語・スンダ語・マドゥラ語はもちろん素晴らしい言語だ。しかしそれらの言語能力
をどれほど付けたとしても、それが使えるのはジャワ島内のそれぞれの地方だけなのでは
ないか。中部ジャワと東ジャワの外に出てしまえば、それらの言葉はジャワ人同士の間で
しか使えない。

わたしはこのシンガポールでついさっき、オランダの銀行を訪れた。そこでジャワにある
オランダの銀行からの手紙をオランダ人職員に見せ、わたしが望んでいることをオランダ
語で告げた。わたしはその職員に以前ジャワで会ったことがある。

ところが、わたしがオランダ語を話しているにもかかわらず、かれは英語で応対するばか
りであり、わたしがオランダ語で話すのを喜んでいない雰囲気が感じられたから、わたし
は英語に切り替えた。かれの雰囲気が変わった。

オランダ本国とインドネシアは別にして、その外の世界へ行けばオランダ人さえオランダ
語を使いたがらないようだ。インドネシア人がオランダ人と話してすらそうなのである。
何年も前にヨーロッパを訪れた際に、わたしはそのことに気付いていた。オランダ人は自
分の国から一歩外へ出れば、自分の母語を使いたがらない。


バタヴィアのホテルデザンドやホテルネーデルランデン、スマランのオテルデュパヴィリ
ョン、スラバヤのオラニェホテルのように客室が清潔で整然と整えられているホテルはシ
ンガポールに見当たらない。もちろんシンガポールの一流ホテルの中には、きれいな客室
もあるだろう。しかしどの部屋を見ても、上述のジャワのホテルの客室に入ったときのよ
うな気持ちよさを感じさせてくれない。ベッド、洗面台、室内の椅子、浴室・・・どこか
片付いておらず、不潔感が付いてまわる。ところが、室料や食事代は上述のジャワのホテ
ルとほとんど違わない。

ホテルのヨーロッパ料理は悪くない。レイスタフェルはないが、それによく似た料理があ
って、メニューにはマルトンカリー&ライスと書かれていた。ヤギ肉やナスをカリで煮た
ものにサンバル状のネギの細切れ、蒸したココナツとマンゴチャツネ、そして白飯。それ
がマルトンカリー&ライスだ。決してまずい味ではなかった。

シンガポールには小さいホテルがたくさんある。ジャワにあるのと同じようなものだ。移
動には路面電車・何十台もの乗合バス・何百台もの自動車と人力車がどこでも行きたいと
ころに運んでくれる。料金は決して高くない。  : シンガポールにて、11月23日
[ 続く ]