「留学史(5)」(2022年10月10日)

この国際都市でムラユ人はどんな暮らしをしているのだろうか?シンガポールを立派な商
業都市に育て上げたのは、明らかに次の三人種だ。1.大規模商業・銀行業・海運業を行
うヨーロッパ人、2.小規模商業と手工業を行う華人、3.小規模商業と通貨交換ビジネ
スを行う南北インド人。四番目にいるのがやはり大規模商業・銀行業・海運業を行う日本
人だろう。シンガポールの先住者であるはずのムラユ人は商業や諸産業においてたいした
役割を果たしていない。

どうやらムラユ人は市内から外に追い払われたように見える。かれらは郊外に住んでいる。
しかも住居の様子を見るかぎり、シンガポールのムラユ人は貧困層を形成しているようだ。
つまりは、インドネシアのプリブミ層と似たような道をたどっているのだ。経済分野にお
いて、外来者が社会の上位に着き、先住者が下層に置かれている。

シンガポールにも先住者貴族階層がいる。リンガ、リアウ、ジョホールのスルタンたちの
係累だ。だがかれら自身も、知識層の世界あるいは商業や諸産業界においてたいした役割
を演じているわけでもない。シンガポールの土地建物の大部分がアラブ人の手に落ちてい
るという話を耳にした。

シンガポールのムラユ人の状況はジャワのプリブミと同じと言えるだろう。権力は外国人
に握られ、土地所有も外国人の手中にあり、産業能力に欠け、勤労意欲は低く、ものごと
を達成しようとする意志力も弱い。生活の中で他者と競い合うための学問技術も不十分だ。
どうしてこんなことになったのか?マラヤ民族と呼ばれる人種は地面を這いずりまわるた
めに作られた者たちなのだろうか?本当にそうだろうか?

インドネシアのプリブミと同じように、シンガポールのムラユ人も何百年も前からヨーロ
ッパ人華人アラブ人と混じりあって一緒に暮らすことをしてきた。かれら外来者の姿はム
ラユ人の目に、こんな連中の生き方はわれわれが手本として見倣うべきものではないとい
うように映ったのかもしれない。かれら外来者が示した勤勉さ、精神力、優れた頭脳など
に対する妬視が先住民の心に生まれることはなかったのではあるまいか。その機会が眼前
にありながら、それに目を開くことがなかった。外来者が発展していくのを見て「かれら
が栄えているのに、どうしてわれわれは違っているのか?」という疑問が全員のものにな
らなかった。目は見ようとせず、耳は聞こうとしなかった。

ジャワやスマトラで、あるいはインドネシアの他の島々で、プリブミが心に抱く願望は、
政庁の官吏や現場のマンドル、あるいは白人の会社の事務員になることがいちばん優勢に
なっている。資本を持つ他人と一緒に通商会社を興したり事業を立ち上げたりして有意義
なことを行う考えはプリブミが好むものではなかった。資本蓄積の欠如したプリブミ社会
に生活の場における事業競争の生まれる余地はなかったのだ。こうしてインドネシア民族
は地面を這いずるだけになり、外来者が天空高くそびえ立ったのである。


1926年11月23日付けのシンガポールフリープレス紙に「婚姻法によってハーレム
消滅」という記事が見られた。旧法によって行われていた結婚離婚が新法によって統制さ
れるようになった。新法では、結婚離婚は判事の前で行われなければならない。男も女も
判事の前では一個の人間になるのである。伴侶をふたり持てば、最高5年の入獄刑が待ち
受けている。女子は18歳を過ぎなければ結婚できない。以前は15歳だった。 : シ
ンガポールにて、1926年11月23日
[ 続く ]